星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

2023年6月11日の記録

今の混沌とした気持ちを残しとかないといけないと思った。 未来の私のために。いなくなるその日まであと81日。
つい先日、このブログのタグを整理していた。「北山さん」というタグをつけたブログ、つまり北山さんに関することを書いたブログの文字数は合計で約6万字あった。Twitterやふせったーや下書きに封印した文章を足すともっとになる。多分愛を証明したかったんだと思う。彼のことを一番理解できるファンの一人だと思いあがっていた。 なのに、グループを卒業すること、退所すること、その未来がわからなかった。影響された私が大きなものを捨ててしまったにも拘わらず。

私が北山さんのファンになったきっかけがあるとするなら、キスブサで、「お金を貸してほしい」と恋人に頼まれた時に、理由を聞かずに100万円貸そうとしたところを見たことだったと思う。こんなにドストライクに、金額まで私と全く同じ回答をする男がいるのか。眠れないと嘆く彼女に対して、玉ねぎのみじん切りを持ってくるのを見て「分かるなあ…」と思ったのも影響が大きかった。他に書き留めないままに忘れていったことも多いが、そういう少し点数が低い時の行動に共感することから、彼への好きを少しずつ増やしていった気がする。世界で一番共感できるアイドルを見つけたと思っていた。 気がついたときには、最初は少し尖りすぎているようで読めなかった裸の時代1万字インタビューの文章がすっと頭の中に入っていった。そしてそのままこの1万字は私のバイブルとなった。
行動に迷った時必ずこの本を開いた。読みすぎて、以前Myojoのサイトで、期間限定でインタビューが公開されていた時には、本に掲載されている文章との違いがそらで言えるほどになっていた。

 

今の私は、「玉森さんのことが大好き」「キスマイが大好き」「北山さんみたいな生き方をしたい」この三つでしか出来ていないな、と思う。キスマイの半分はたぶん北山さんで出来ている。だから、”僕の半分は君”だったのだ。
そしてこれから君の比率が少なくなっていく。少なくともキスマイの魂における北山さんの割合は、減る。無くなりはしないことは良く分かっている。 6月7日の21時に発表された北山さんの文章の「ずっと胸の中にあり続けます」もそういうことなんだと思う。なくなりはしない。でも、きっと少しずつ薄れていく。私が2020年12月31日まで愛したグループが、私の心の中で面積を減らしていった時のように。そのことが泣きたくなるくらい悔しい。

 

再三になるが、(七人全員の個人担をしていると思っている気持ちもあるがそれでも)私は北山担ではない。信奉というよりライバルのような感覚があった。たぶん、恋愛対象とは大きく違ったから、いずれいなくなる人だということに気がつかなかった。彼への好きを簡潔に表すなら、たぶん自己愛の延長線上にあった。 それから「北山担でない」自分がこうやって北山さんに関する文章を書いているということ自体に歪んだ優越感を抱いていた。とはいえ傍から見れば十分担当だったのだと思う。結果論にはなるが、SHOCKチケ代とその遠征費、グッズ代、写真代、書籍代のことを考えるとグループの中で一番金を注いだメンバーだった。
大好きだった。大好きだ。

 

偏った感情を向けるようになったきっかけは灰になる前にの考察からだった。
考察してくださいと言われた一方で、考えようともしないでバカ丸出しのツイートをしているファンが許せなかった。勝手にファンの誰にも理解してもらえてなさそうな北山さんに同情して、その怒りを長い文章として表現するようになった。書いたことが全部間違っているなら、私の方がよっぽど加害者の行いだったと思う。今となっては私よりもちゃんとしてる考察も存在すると思うが、YouTube公開当初は本当に少なくて許せなかったのだ。ドンワナの時に考察していた人はどこへ行ったんだよと毎日キレていた。
そうやって毎日北山さんのことを考えることで、段々と理解者になった気でいた。

というか、他の平均的な北山担よりはよっぽど理解者だったはずだと、今でも信じている。

私は北山さんを心に飼ったせいで本当に大きなものを捨てた。世間一般では一番大事にしなければならないものを捨てた。たぶん人生が狂った。きっと多くのファンは、担タレと自負する人たちも、そういう狂い方はしていない。
二度と手に入らないと分かっていて、手にあったものを投げ捨てた。その時に「最後の一歩を踏み出すのは理屈じゃない」ってこういうことなんだと思った。
いくら最初から北山さんに影響されるような素養があったとしても、彼の言葉が胸になかったら言い出せなかった。わざわざ変えようとしなければ、なんだかんだ幸せになって、それはそれでどうにかなったと思う。
でも染め切った心は不可逆だった。普通に幸せを得られたはずの人生がめちゃくちゃになるなあと思ったけれど、それが北山さんのせいなら、それでもいいと思った。

そしてこの決定をするにあたって私は誰にも相談しなかった。 親兄弟にも、20年来の友達にも。言い出した時から私が譲歩出来たのは、数ヵ月程度のタイミングだけだった。

何も嫌になんてなっていない。私は尊重されていたし、支配する余地だってあった。かつては一番大事なものだった。
大事なものだったからこそ、それを犠牲にしたことで頑張れるような気がした。

バカだと思う。大体の人にはそう言われた。でもまあ、何も戻らないのだ。一区切りがついた後、スパイクもボールも全部捨てた話をもう一度読み返して、未練となるものも排除した。

それなのに、私はそれだけ大事なものを捨てたはずなのに、北山さんはもう何も捨てないと思っていた。

でもそんなことはなかった。私はお知らせを開いて絶望した。私が新しく一番にした何かのことも、永遠にならない。一番に愛しているキスマイのことも、永遠にならない。彼の感情に例外がないなら、私も同じようにそうしたがってしまうということだ。

 

北山さんを理解するために何かをすることが好きだった。ここ一年ほどの私の文章も、手芸も、全部北山さんを理解したいという気持ちでやっていると言っても過言では無かった。何かを表現することを続けること、それに伴う感情を得ることが一番北山さんの理解に繋がると思っていた。絶対に考え方の合わないアンリーにフォローされたり、私の意とそぐわない恣意的なRTをされても我慢していた。アイドルはきっと考え方の合わない人からの部分的な支持も、糧にしている。その感情を知る助けになるだろうと思ったから。
それでも他人の考えていることなど分からないのだと、今回本当の意味で知った。でも、行動だけは真似出来てしまう。だからきっと、これからもそうしてしまう。北山さんのおかげで決断出来た自分のことが好きだったから。


私は2022年のドーム公演、京セラ初日を一生忘れない。「本当にやりたいことに理由なんてない」と最後に北山さんは言った。私はその言葉が、自分の行動への肯定と感じた。同時に、これは数年前に国立を目指したいという文脈で語られた言葉だったから、同じようにまだ国立でやりたいと思っているという意味で発せられた言葉だと思った。キスマイ七人の未来へ向けた言葉だと思った。だから一生忘れないと思った。
でもそうではなかった。かつて捨てたものが私の世界の一要素に過ぎなかったように、ファンも、メンバーも、北山さんの人生の一要素でしかなかったんだなと思った。

でも、仕方ないのだろう。本当にやりたいことに理由なんてないから。そこに理屈はない。

 


私が一番に勝手に期待して勝手に許せなくなってしまっていることは。1万字インタビューで、目の前にある崖がどれだけの幅か分からなくても最後の一歩を踏み出す/飛び越えられず落ちたとしてもいい、後悔はない/だって自分で選んだ道だからと言っていた。こういう言い方をするのは本当に嫌なのだが、キスマイはSMAPと嵐がいる、その崖の“向こう側”に行けたグループではない。どこかで崖から落ちたことは否定できないと思う。だからこそ、落ちた崖の底で自分で選んだ道だからと笑ってくれてると思ったのだ。また違う崖に挑むなんてことを考えていなかった。失敗したら、その場所に留まってくれると思ったのだ。
私には出来ないことを、彼に望んでしまっていた。

 

六人と一人の運が悪かったとは私は口が裂けても言えない。一人、キスマイ以外に応援している子がいた。それならばこの子の方がよっぽど、よっぽどだった。
彼に対しては、こっちはいつまでも応援し続けるから勝手にやめるなよという願いを送り続けていた。彼に何かを返したい、とずっと祈っていた。その子は、本当にショービジネスの世界に骨を埋めた。裏方として。アイドルを応援するために使うお金の一部が、彼に入り続ける。いつまでも彼の金銭的な支えになれる。
そうやって呪いは一つ歪んだ形で成就した。

グループにも願いをかけていた。V6の解散コンサートを観たときも、そしてそれ以降も、絶対に綺麗な終わり方を迎えないで欲しいと、最低でも嵐みたいに未練タラタラじゃないと許せない、希望と怨念を持たせ続けてくれるグループじゃないと困ると言っていた。
その呪いも成就した。
続けてくれることを選んでくれてありがとう。私の心はあなたたちとともにあります。Kis-My-Ft2が選んだ先の未来に、どこまでもついて行きます。あなたたちが少しでも幸せでありますように、恩を返していきます。

もがき続ける貴方が大好きです。37歳も沢山抗っていてください。
私は誕生日のツイートでそう言葉を向けていた。彼は私の願いを何一つ裏切っていない。もがき続ける北山さんが好きならばこの結末も受け入れなければいけない。
呪いはちゃんと成就している。それでも許せない。私のことを置いて消えるあなたのことが許せない。あなたが見る世界を、私が想像した形で見せて欲しかった。キスマイのおかげで救われた人生と北山さんのせいでめちゃくちゃになった人生を生きている以上、呼吸をするたびにあなたのことを思い出す。

We are seven men group called Kis-My-Ft2, from Johnnys associates in Japan. Our dream is to be the most loved group in the world and to spread happiness through our music. We are going to do our best. We are going to do on to make sure this happens.

あなたは全世界に向けてそう言った。私の呪いは歪んだ形にしても成就しているのに、なぜ彼の言葉は叶わなかったのだろう。叶えるまで責任を取ってくれなかったのだろう。

どんな感情を向ければいいのかわからない。この心の穴が埋まる気はしない。
明日はお前の魂の上に重くのしかかってやる、そんな呪いの言葉が何度も何度も頭をよぎる。
でも私のバイブルとなった一万字は未来で7人で語り合うことしか語っていない。メンバーでなくても友達であれば叶えられる未来だった。それに気がつかなかったことが悔しい。*1

 

あと81日。このぐちゃぐちゃな心のままで、あの日のキスログを消化しようともがく日々を送り続ける。

*1:余談だが、座談会の方では「SMAPさんみたいに“ジャパニーズフェイバリットアイドルグループ”って海外の教科書とか載ろうよ」「10年後でもいい。20年後でもいい。いつか7人で載る」と言っていた。それは叶えていないじゃん、と泣きそうになったが、横尾さんの教科書(副教材)掲載を一番に喜んでいたことは、ここと繋がっていたせいかもしれないと思ってしまった

2023年5月Endless SHOCK -eternal- 感想

eternalを見て、初日の自分の解釈は間違っていたんだろうな、と思った。

mtnigenkai1.hatenablog.com

帝劇の一幕のヒロミツは少し幼かった。王族の子供のようだと思った。二幕のヒロミツは悪堕ちしていた。その感覚までは間違ってなかったと思う。
本編だけを見た時点では、人を惹きつけるためにわざと幼く振る舞っているのだろうと思っていた。
でも、帝劇のヒロミツは本当に幼かったのだろうと今は思っている。

eternalでは、あのとき何を考えていたのかという心情の補足がされている。全部で何箇所あったかは覚えていないが、ジャパネスクの幕間に口論したときや、コウイチが階段から落ちていくときなど。

当時の心情を語るヒロミツはずっと子供のように泣いてた。泣いてるように見えた。

帝劇ヒロミツは、過去のどのライバルよりも無表情でいることが多かったのは確かだと思う。私はそれを、「無表情がヒロミツの素に近いから」「心が冷え切っているから」なのだと解釈してしまっていた。

でもそれは、必死に心情を隠していただけだったのかもしれない。

 

私は以前、こんなツイートをしていた。

主観として過去や朧気な記憶の中のSHOCKは「どちらかというとライバルの方が悪い」、去年のショウリは「コウイチが全部悪い」、去年のヒロミツは「両方平等に悪い」で、それでいて今年のショウリは「誰も悪くない」だったんだけど、ここまで来ると今年のヒロミツ本当どうするんだよという気持ちがある

このときショウリの公演で「誰も悪くない」と思ったのは、Don't Loot Backで「自分を責めるな 誰のせいでもない」とコウイチがショウリに歌いかける部分が強く印象に残ったからだった。
ヒロミツの公演では、ヒロミツの孤独に気づいてあげられなかったと悔やむオーナー、コウイチの眠る病院に通ってるヒロミツを見て認識を改めるリカ、ヒロミツのことを見直したんだと雨の中で語るマツザキが強く印象に残った。
そのせいで、観劇後の私は勢いで「ヒロミツのことをちゃんと見れていなかったコウイチ以外のカンパニー全員が悪い」とツイートをしてしまっていた。

本当は誰が悪いとかではないのだと思う。でも今回のeternalでは、登場人物みなが罪を背負っているようにも見えていた。

 

※この辺りから段々と主観が強くなっていきます

ヒロミツの不幸は能力が高すぎたことだったのだと思う。

Yes, My Dreamで「俺がステージじゃパーフェクト」と歌うヒロミツのパーフェクトっぷりは確かなスキルが伴う説得力のある歌だったし、序盤時点でヒロミツがコウイチに劣っている部分は一つも見えなかった。

そのせいなのか、なんというか、みんなコウイチのことばかり気にかけていた。スキル以外の部分を考えても、コウイチもヒロミツも同じくらい弱かったのに、
破天荒な発言をするコウイチと常識的な発言をするヒロミツや、
意外と提案ベースで発言をするコウイチ(シェイクスピアをやりたいといったのに結局やってない)と自信満々に発言をするヒロミツという比較のもとで、
ヒロミツは手のかからない人間として信頼された一方で、コウイチにばかり注目が集まってしまっていたのだろうなと思う。特にヒロミツは結構目の動きが分かりやすいのもあって、気遣い屋の一面も感じられた。コウイチとヒロミツが街で口論になったとき、ケイがヒロミツのことを追いかけたがるのも信頼の証のように見えた。

故に、あの事故までヒロミツの少し子供じみた部分が気づかれることがなかった。

これ、宏光の一人っ子の性質を強く反映したヒロミツだったからなんじゃないかという気がしている。ライバル初の一人っ子、自立してて一人でも楽しそうなんだけど、構ってちゃんな部分が突然出る感じ…

 

本編ではエンディング*1の前に子供時代の回想のようなシーンがある。一緒にダンスの練習をするコウイチとライバルの声。
従来のこのシーンは、「兄弟のように育ってきた二人は、あれだけの悲劇があったけれど、本当は心が通じ合ってた」ことを表す役割があったと思う。
でもヒロミツ公演においては、「二人はまだずっと子供の頃の心を持っている」ということを示す役割を果たしていたんじゃないかと思った。
eternalでは子供時代の声は流れなかったと思うが、シーンの繋ぎの暗闇の中で思い出したのはMOVE ONの歌詞だった。

もっとはしゃいじゃって 君と僕だけのSecret dance all night

そうさ いつでも 君と踊っていたいんだ

もっと 遠くまで 命尽きるまで

もっと はちゃめちゃに 夢の先まで

「君と踊っていたいんだ」と歌っているときはステージ上にリカがいるし、この曲の中では「恋心」というワードも登場する。だからリカに向けた歌、リカの心を奪うコウイチに嫉妬している歌だと思っていた。
でも、MOVE ONに登場するリカは、赤いドレスを着ている。赤は、コウイチを象徴する色でもある。
だからこれはもっと、「コウイチとずっと踊っていたい」という子供の頃から何も変わってない気持ちをまっすぐ描いていた歌だったのかもしれないと思った。

 

ヒロミツのeternalで最も印象的だったのは、コウイチとHigherを踊る部分だった。このシーンは去年のショウリ公演の途中から追加されたものであり、過去の比較対象はショウリしかいない。
本編では、コウイチの挑発にもカンパニーメンバーからの誘いにも乗らず、壁にもたれかかって終わってしまうシーン。eternalでは途中から意を決したように飛び込む。

パンフレットで、宏光は「ヒロミツがあの事故を乗り越えられたのはHigherを踊ったときに後悔や苦悩に一つの区切りがつくからではないか、ならばそこから逆算してヒロミツの心の動きを表現したい」という旨のコメントをしていた。*2

ショウリの公演におけるHigherは、コウイチとショウリが一緒に踊るifの世界線。二人が一緒にもっと上を目指して、コウイチがショウリにセンターの座を譲る、その未来を空想させるようなものだったと思う。二人は本当に楽しそうだった。

でもヒロミツの公演におけるHigherに対しては違う見方が出来た。ヒロミツは踊る中でもずっと、どこか痛くて苦しそうな顔をしているように見えたからだ。

Higher前、ヒロミツはコウイチのことを強く睨みつけている。そのときヒロミツがコウイチに抱いていた感情は怒りであり、痛みを引き受けて真ん中で踊る姿への嫉妬だったんじゃないかと思った。

eternalでは、ジャパネスク前の幕間の回想として、「コウイチのポジションも自分がやれと言われたときに、やってやるよと言い返せず、逃げ出した」という旨のことを言っていた。

その対比になるのがHigherなんだと思った。

eternalのHigherは、Endless SHOCKという作品の中で唯一、コウイチとライバル両方が踊ってるときにライバルの方が良い位置で踊る、言い換えると「ライバルがコウイチのポジションで踊っている」演目だ。

だからこのHigherは「あの事故の前のときと違って逃げ出さずに痛みに飛び込み、コウイチのポジションを担ったこと」を象徴する瞬間を示しているのだろうと。

"自分のこと受け止める(CONTINUE歌詞)"には痛みが伴う。あのときヒロミツは自分の子供じみた一面や抱いてきた負の感情やコウイチを殺してしまった罪を受け止め、痛みを表現の糧とするエンターテイナーとして成長したのだと思う。

だからあのHigherはNew York Dreamで描いていたifとは少し違って、コウイチの不在を受け止める儀式のようなものだったんじゃないかと私は思ったのだった。

 

本編を見ているときはヒロミツしかロックオンできていなかったため気が付かなかったものの、今回、コウイチは消える直前に満面の笑みを浮かべていたことに気がついた。とても楽しそうだった。

コウイチが復活する意味は、おそらくライバルごとに少しずつ違う。ライバルの性質によって、一番伝えたい言葉も変わっていると思う。

ただ、一緒に踊るHigherはeternalにしか存在しない。だからあの一瞬は復活したコウイチとショーをやった日と三年後のお墓参り、その間のどの時系列に位置しているかは観客が勝手に設定する余地があると思っている。Higherで区切りがついたとするのなら、あのショーはヒロミツの成長に対しては必ずしも必要なかったのでは無いか、そんな気がする。

だから今回は、コウイチは何を伝えたいかというよりも、「子供のときのように一緒に楽しく踊りたかった」その未練を果たすためだけに戻ってきたんじゃないかと思ってしまった。

 

私にとってはそういうほろ苦さが残るeternalでした。色んな人の解釈が見たい。今すぐ本編をもう一度観たい。

*1:ふわふわした書き方なのは記憶が曖昧のため

*2:原文は買って読んでください

透明な炎としてのヒロミツ-2023年5月Endless SHOCK感想(1)

〈eternal観たあと全然印象変わりました。eternalの感想はこのブログのラストにリンク貼っています〉

 

炎というのは、温度が上がり過ぎるとやがて紫外線となり、見えなくなるという話を聞いたことがある。

開幕前のインタビューで、博多座公演のヒロミツのことを青い炎と評する光一のインタビューを見た。赤よりも温度高く、静かに燃える炎。でも、帝劇で見たヒロミツの炎は可視化すらされていなかった。冷気のように凍えたヒロミツ。でも彼の心に触ったらきっと跡形もなく融けてしまうのだろうと、それだけが分かるような。そんな透明な炎が帝国劇場のステージ上で燃えていた。

 

関連ブログはこちら

mtnigenkai1.hatenablog.com

mtnigenkai1.hatenablog.com

 

※例によってめちゃくちゃネタバレのめちゃくちゃ主観しかない感想です。過去二編よりも更に主観が強いです。書き終わってから「動物番組で動物に勝手に台詞つけてる人ってこんな気持ちなのかな」って思いました。

 

2023年5月7日18時の部。Endless SHOCK本編・ヒロミツ初日の公演を観てきた。

博多座のときとは違う解釈でライバルをやるというプランは、各インタビューで少しずつ話されていた。
前回赤髪にした意図が、最近改めて明かされていた中で、流れてくるゲネの様子から今年はどうやら黒髪。きっとそれにも意図がある。博多座と全く違うライバルであること、そこまでは予測出来ていたのだ。

でも、SHOCKのホームとも言える帝国劇場。幕が開いた先にそこにいたのは予想をはるか超える別解釈のヒロミツだった。

 

博多座のヒロミツがどういうライバルだったのか。何が新しかったのか。それを一言で説明するとするなら、「あまりにコウイチに寄せていたライバル」であったことだと思う。

自分のブログの要約と化して気持ち悪いのだが、背丈も歌もダンスも考え方もよく似ているけれど、わずかにコウイチに届かないライバルが「刀をすり替える」というイベントを通してコウイチのことを知ろうと思ったら悲劇が発生し、紆余曲折あって「コウイチにならなくて良い」と知ったライバルはコウイチの意志を継ぎステージを続けていく物語と個人的には認識していた。

この「ライバルとコウイチが似ている」というアプローチは過去のSHOCKにはあまり無く(コウイチの“若い時”に似ているんだろうなというアプローチはあった)、またコウイチとライバルにアラフォーの風格がある落ち着いた役柄であることも、コウイチとヒロミツの罪が釣り合うように見えたことも新鮮だった。

 

帝劇ヒロミツについて。未だに咀嚼しきれていない部分がある。出来るだけ話の流れに沿って書くが、恐らく上手く行っていない。

オープニング~千秋楽のシーン

ゲネから染め直すこともなく、黒髪確定。印象は「貴族のボンボン」だった。やわらかい笑みを浮かべて余裕ぶって踊る姿。溢れる気品。髪型の丸みもあってすこし幼く見える。リカの年齢にも合わせたのかな、とも思った。

直前のショウリは茶髪の兄ちゃんとして、コウイチとある程度兄弟感を出してきているのとは対照的な「コウイチとは全く違う」というライバル像。でも金髪と黒髪の組み合わせはコウイチの中の人が所属するデュオも想起させて、対比としては美しいなと思った。コウイチは(光一は)言うまでもなく王子様なので、別の国の王族交流かな?みたいに沸いていた。

帝劇ヒロミツは感情表現が豊かだった。若さが見えたし、去年のショウリや従来のライバルにも近く、トラブルのことを話すコウイチにも次はシェイクスピアをやろうとするコウイチにもちょっとムッとする。

この時点で博多座と全く違う。博多座ヒロミツはほんの少し荒んだところが透けて、感情表現が薄かったし、コウイチと同じように常に年長者としての余裕のある表情をしていた。王族感も無かった。

だが確かにSHOCKの原点であるハムレットもリチャード三世も主要人物は王族だし、こういう解釈もありだなあ*1、このヒロミツは人懐っこくて幼くてかわいいし、確かにパーフェクトでコウイチと人気を二分できているんだろうなと思う説得力があった。

リカに対する好意について

昨年の博多座ヒロミツがリカに好意を向けていたのは、「カンパニーの二番手同士の共感」か、「リカに釣り合う男になることがコウイチに近づくための手段だから」のどちらかに見えていた。リカの中身はそんなに見ていないんじゃないか、そういう不安があった。

一方で今年の公演。ショウリ公演からもある程度共通しているのだが、去年はコウイチとお似合いのリカだったのに対して、今年のリカにはカンパニーの姫感があった。故に(コウイチでは無く)ショウリがリカと釣り合って見えていたし、ヒロミツ開幕前は去年と同じアプローチ出来ないけどどうするんだろう…と不安に思っていた。

今年のヒロミツ公演におけるリカは、どこか「人望」の象徴にも見えた。ヒロミツはどこにいても一瞬さみしい顔をする。その中でカンパニーのメンバーからリカへの恋路を応援されるとはしゃぎ、リカに対してアピールをする。リカはコウイチへの好意を隠さないし、ヒロミツからの好意もどうやら気づいていてかわす小悪魔だったのだが(片思いハートやってた。びっくりした)、それでもリカを手に入れようとするのは「リカから好かれればカンパニーで唯一自分に足りていない他人からの評価が手に入る」と思っていたからのように見えた。

街でカンパニーの記事を読み、リカが「これもコウイチのおかげね」と言われブチ切れるシーンでも、その苛立ちは「なんで俺には人望が無いんだ」と言い換えられるような怒り方に見えた。さみしいんだろうな、と思った。去年のヒロミツはもう少し「孤独」という言葉が似合っていた。

一幕の違和感

最初におかしいな、と思ったのはONE DAY後の劇場屋上のシーンだった。リカがコウイチといい雰囲気になっていて、指輪を差し出すのを諦めるシーン。そのあとの顔がマジで虚無なのだ。完全な無表情。マツザキの気遣いに対してだけは多少の笑みで対応するが、残念とか悔しいとかそういう顔じゃなくてただ冷え切った顔。この時点では「さみしい」だけで収まると信じていたが、このライバル思ったより心が冷えていないか…?と首を傾げていた。

もう一度もしかして、と思ったのはMOVE ONのシーン。(街でも突然キレてたが)ここでいきなりヒロミツの感情が見える歌い方をする。それまでのショーのパフォーマンスは随分と穏やかだったのに、特に「命かけたこの夢に」以降辺りから何かが剥き出しになっていく。それまでの王族のような振る舞いが嘘だったように弾けて、客席を睨みつけるようなパフォーマンスだった。去年より優しくてさみしくて人恋しそうなヒロミツは嘘だったのかもしれない。大きな劇場でパフォーマンスをしていた六カ月で何かが狂いだしたのかもしれない。

博多座ヒロミツはもっと、ただただ自分の曲を完璧にパフォーマンスするスターでしかなかったはずなのだ。

ジャパネスク前

SOLITARYの出トチリについてはあまりに一瞬だったので顔がちゃんと見えていなかった。観客としての怠慢で申し訳ない。裏で揉めるシーンのヒロミツは、それまで抱いていた「おかしさ」を少しずつ吐露する。激しさも怒りもあって、でも品を失わない範囲で紡ぎ出される台詞だった。ポジションは対等。品は妙にあったが、この辺までは博多座ヒロミツと演技としては大きくは変わらなかった。強いて言うなら去年のコウイチよりも今年のコウイチの方が少しだけ余裕があったと思う。(この辺の解釈は去年のブログ読んで…)

でも「俺抜きでな!」のあのシーン。このライバルのリアクションは「あ、コウイチ抜きでやる気だ」と思うそれだった。糸が切れたように言う「Show must go onかよ」は、「殺す気だ」と思った。屋上のシーンと同じような無表情だった。

戦闘始まりの「殺せ」も殺す気としか思えなかった。

 

結論で全く同じことをもう一度書くが、今年は表と裏の二人なのだと思った。表が白で、裏が黒の画用紙。同じように彩度を持たない色なのに、白を必要とする人の方が少しだけ多いばかりに「表」とは名付けてもらえなかった、それだけのライバルのように見えた。

ジャパネスクのラスト

二幕で語られる「俺の勝ちだよ」。例年その「勝ち」が意味していたところは、どっちの格が高いかのプライドとか、困らせてやろうという幼稚さの表れとか、トラブルがあってもショーを続けることが正しいのかそれともトラブルなくショーを続けることが正しいのかの信念の戦いとか、そういったものだったと思う。

でも今年のそれは、「インペリアルガーデンシアターのエース」と「カンパニーのメンバーに慕われる座長」という「表」の座を奪うために行なわれた下剋上に見えた。

「コウイチがカンパニーの信頼を失って、自分が代わりにその座に就く」という明確な目的をもって行われた凶行に見えたのだった。「ジャパネスクのハッピーエンド」が本来どういう終わりなのかを知る由は無いが、せめて偽物の刀を渡されたら、恐らくその結末は得られた。それこそ足の一本くらいは犠牲にする覚悟で、ヒロミツは勝負に出ていた。

でもヒロミツは賭けに負けた。コウイチが血だらけになり、階段から落ち、それを上から見てコウイチに手を伸ばそうとしていた*2ヒロミツの慟哭がどんな感情に基づくものかは整理できていない。

 

ここまでが一幕。そして二幕。

復活後コウイチとヒロミツの会話までのシーン

今年のリチャード三世は圧倒的悪役だった。去年は「ただ離婚してないだけ」で新境地を発揮した宏光の延長線上にあるヒロミツで、その暗さは中の人が持ち合わせる暗さと似ていて大好きだったのだが、今回は「暗い」ではない、光一つ見えない闇だった。

その後のDon‘t Look Backのシーン。これがハムレット三幕三場のシーンと対応していると気が付いたのでちょっとまず語らせてほしい。

ハムレット三幕三場では、兄を殺した国王クローディアスの懺悔がある。以下小田島雄志訳。

国王
おお、この罪の悪臭、天にも達しよう。人類最初の罪、兄弟殺しを犯したこの身、どうしていまさら祈ることができよう。祈りたいと思う心はいくら強くとも、それを上まわる罪の重さに押しつぶされる。同時に二つの仕事をはたさねばならぬもののように、思うばかりでなにごともはたさず、二つとも手をつけぬまま、呆然と立ちつくすのみだ。
この呪われた手が、兄の血にまみれて硬くこわばっていようと、それを洗い清めて雪の白さにする恵みの雨が天にはないのか?(中略)

ハムレット
いまならやれるぞ、祈りの最中だ。やるか。やればやつを天国に送りこみ、復讐ははたされる。待て、それでいいか。悪党が父上を殺した、そのお返しに一人息子のこのおれが、その悪党を天国に送る。これではやとわれ仕事だ、復讐にはならぬ。(中略)

国王
(立ちあがり)ことばは天を目指すが心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか。

 

三幕三場がどういうシーンかをざっくり言うと、
ハムレットが、クローディアスが父を殺したという確信を得るために、事件の状況を劇で再現させ、そのリアクションを見ようとする
②クローディアス動揺する(ハムレット確信)
直後の動揺しているシーンであり、この後の話の流れとしてはクローディアスは真相を知ったハムレットを葬るために動き出す。

 

一方Don’t Look Backの歌詞。
「汚れた両手で 光探すなら 振り返らずに歩く 輝きを 掴むまでは」である。

雨という要素も、懺悔も、汚れた手という比喩も、それでも歩みを止めない部分も共通しているのだ。
ただ、今までのライバルは正直、全然歩けてなかった。罪悪感でいっぱいで痛々しいライバルだったと思う。去年の博多座ヒロミツも例外では無く、ほんの少しのきっかけで崩れてしまいそうな脆さがあった。

だが、ここからの帝劇ヒロミツは怖かった。勝負に負けたはずなのに欲しかったポジションはキッチリ手に入れている、その事実を受け入れたのかクローディアスと同じように動揺がかなり少ないのだ。

これだけハムレットを引用しておいてなんだが、リチャード三世の「となれば、心を決めたぞ、おれは悪党となって、この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる」の方が心情的に近いかもしれない。

New York Dreamでこそ帽子には当たっているが、もうすぐ閉幕するショーでも笑みを浮かべず、だが客席を強く睨みつける余裕のあるステージ。そして何よりHigherのとき、の顔をしていたのだ。去年はかなり動揺があったのに「憎いあいつが帰ってきた」「ステージから追い出したはずなのに戻ってきた」と言わんばかりの怒りが見えた。

 

表情も、ずっと髪で左側が隠れていた。心理学的にもなんか根拠があるらしいのだが、「右側は理論的な表情、左側は本音の表情が出る」というものがある。本音を隠して、悪役を演じているのだろうな、と思っていた。

コウイチとヒロミツ

コウイチが本当は死んでいることを知ったヒロミツの動揺は、「自分ずっと見ていた大切なものの喪失」と「自分ずっと見ていた大切なものの喪失」に基づくものだと思った。

今回、コウイチは確かにヒロミツの唯一の理解者だった。前半で書いたようにヒロミツはさみしさと自分を見てくれる人がいない、そのことに基づく深い闇を抱えていたと思うのだが、それに一幕の時点で対応できたのはコウイチだけだった。コウイチも同じさみしさと闇を抱えていて、かつ同じくさみしさを察知できたはずのオーナーはコウイチにしか手を差し伸べられなかった。

その様子に気づいたコウイチはマツザキをヒロミツに付けていたが、その頃にはヒロミツはもうコウイチとコウイチを追うリカしか見えていなかったのではないかと思う。コウイチも同じ状況にある、その一点に気がつかないまま。

ヒロミツはコウイチの死によって、自分が誰よりも嫉妬していたコウイチが自分のことを見ていたことに気がつくし、死んでいるコウイチより生きているヒロミツを選びコウイチにナイフを刺したその行為によって、リカも自分のことを気に掛けていたことに気がつく。*3

そして一番ヒロミツに大きな影響を与えたのは「殻に閉じこもるのはよせ」の台詞だったと思う。

今までのライバルに対するこの言葉は、「罪悪感で目を曇らせずに他のカンパニーのメンバーにも目を向けて心を通わせろ」のニュアンスが大きかったと思う。

でも今回咎めたのは、「(一幕で)良い子を演じて好かれようとしたこと」「(二幕で)悪役を演じて本音をみせなかったこと」の二点に見えたのだ。

 

ヒロミツは、コウイチとメンバーにショーをやることを懇願する。私は勝手に、このヒロミツはもうステージ上でしか人と会話ができないから、本音を見せられないから、その手段しか選べなかったんだろうな、と思った。

フィナーレ(CONTINUE)

最後のショーのヒロミツは、あまり笑いを浮かべず、歴代のライバルの清々しい顔とは程遠かった。でも余裕ぶった顔もせず、顔の左側もしっかりと見せていた。本編においてはこの少しだけ冷たくて、揺らぎの見えない透明な炎を宿すヒロミツだけが、彼の素だったように思えた。

フィナーレではライバルにだけコウイチが見える瞬間がある。ヒロミツが浮かべていた笑いは「しょうがないなあ」と言わんばかりの、コウイチを同じスターの苦悩を抱えるものとして見るような、分かり合えないまま相棒としてステージに立つ未来もあった筈の人間が浮かべる表情だった。

コウイチの「みんながいたから走ることが出来たんだ」も、例年は「みんなが支えてくれたから自分はカンパニーのリーダーとして走れた」だったはずなのに、「ほかのみんなも一緒に苦労していたね、楽しかったな」というねぎらいのニュアンスを拾ってしまった。

 

 

博多座は、「コウイチになりたかった」ヒロミツだったと思う。帝劇は、「コウイチに成り代わりたかった」ヒロミツだった。

去年は少し発想と狂気が足りなかった。鏡写しのライバルは、鏡の向こうに行けなかった。

今年は表が白で、裏が黒の画用紙のような二人だった。同じように彩度を持たない色なのに、白を必要とする人の方が少しだけ多いばかりに「表」とは名付けてもらえなかっただけの黒が、ライバル。

確かに物語上の時系列ではコウイチの方がヒロミツより名声はあったが、名声があったところでさみしさは埋まらないし、コウイチの持つものを到達点にせずもっと上を目指していればいずれは並び立てる可能性があった、それに気がつかなかっただけのライバル。

きれいはきたない。きたないはきれい。

 

そんな感覚を覚える、帝国劇場のヒロミツだった。

 

 

上で書いたこと全部なかったことにしたいなと思いながら書いたeternal感想はこちら

mtnigenkai1.hatenablog.com

*1:去年のショウリやウチなんかもこの王族系統だったんじゃないかなと思う

*2:幻覚かも

*3:5月公演のリカは1幕と2幕の幕間の一年間で成熟した印象があった

2023年4月Endless SHOCK感想

私はとあるアイドルの考え方が大好きで、その考えを信奉していた。

彼は「なぜアイドルは歳を取らないのか?」という質問に対して「それはファンが一番熱量を持って接していた頃のフィルターを通してアイドルを見ているからだ」という旨の回答をしていた。アイドルも歳はとる、あくまで受け取り手のフィルターの問題なのだと。

でも今は、もしかしたらそれが全てではないのかもしれないと思っている。ステージ上では、エンターテインメントという魔法を通してなら、彼らは年齢をコントロールすることが出来る。客の意志や客が持っているフィルターの数に関係なく。

 

2023年4月に観たEndless SHOCKは、ショーという名の魔法の話だった。少なくとも私にとっては。

 

前編(前編ではない)はこちらから

mtnigenkai1.hatenablog.com

※好き勝手1回しか観てない公演の主観を書き散らかす感想ブログです。物語の内容にもガッツリ触れています。

 

Endless SHOCK(以下SHOCKと表記)がメタ構造を孕む物語という認識は、観客の誰も疑うところは無いと思う。カタカナで表記される役名。ステージで輝くキャストをステージで輝くアイドルが演じる。スター⇔二番手という構造は先輩⇔後輩という事務所の構造から代替されるし、思い付きでステージを創るコウイチは、Eternal Producerとして表記される故人が投影される。

そして20年以上に渡って続いているこの演目について、現実世界からの浸食を最も強く受けるのは「ライバル」という存在だろう。全ての公演を見たわけでは無いので断言することは乱暴にしても、15年以上大きく変わっていないストーリーラインの中で*1、変わりゆくライバルが物語の解釈を大きく左右させているとは言えると思う。

 

観客はその演者に対して持っている知識のフィルターをかけ「ライバル」を見る。それが物語の解釈を容易にさせる。少なくとも2021年以前のSHOCKにはそういうところがあったはずだ。*2

前提としてメインキャストは役と同様ステージ上で輝く存在であり、殆ど*3のライバルの中の人はコウイチの中の人のバックに着いて踊ったことがあるし、中の人同士の仲良しエピソードもわんさか出てくる。そこまで多くの説明をしなくても、観客はライバルがコウイチよりも序列的に下であることと、弟的存在だという設定を自然に受け入れられるようになっているわけである。

同年代の切磋琢磨する疑似兄弟による物語。

 

しかし2022年の「バック(二番手と言い換えられる)で踊っていた」という印象を持ち合わせないライバル二人は、そのフィルターの恩恵を受けられなかった。私はそのフィルターを掛けることが出来なかった。*4

結果として私は帝劇の公演に対しては「世代交代(親子)の物語だ」と、そして博多座の公演に対しては「同い年だ?!」みたいな感想を抱いたのだった。両者とも新しいアプローチに見えて、とても良かった。私がキスマイ担なのもあってコウイチとライバルの序列を本当に重要な部分でしか見せない後者は特に衝撃的だった。SHOCKという物語全体への理解も進んだ。

だが実のところストーリーラインに多少の矛盾を感じなかったかというと嘘になる(個人的には今の物語はタツヤに合わせてチューニングされたところから大きく変えていない印象もあるのだが)。

なぜならSHOCKは兄殺しの物語であるべきだからだ。たぶん。

 

SHOCKの根幹はシェイクスピアの劇中劇にあると思っている。
ハムレットは父を殺した父の弟にハムレットが復讐しようとする話だし、リチャード三世はリチャードが兄たちを殺して成り上がろうとする話である。
そして夢にうなされるライバルはいずれもこの「弟」の役が割り振られている。この考えはそういった理由に基づいている。*5
細かいところを突けば、ハムレットは父が殺されてるしオイディプス(父殺し)の物語の類型にあるらしいしリチャード三世は父を間接的に殺したようなものではある*6ので父殺しと捉えられなくもないが、Endlessが付かない頃のSHOCKでは明確に兄が亡くなっているので、やっぱり死ぬ人間の属性は"兄"であるべきだろう。

 

前置きが長くなった。2023年、佐藤勝利がライバルを務めるSHOCKは、確かに兄弟の物語だったのだ。今回はそのことに対する感動を書いている。

 

昨年の帝劇SHOCKについてすごく感覚的な話をすると、そこにいたのは40代のコウイチと30代のリカと20代のショウリだった。大人びたリカはコウイチとよくお似合いで、ショウリからリカへの感情は憧れのお姉さんへの必死の背伸びに見えたし、ショウリからコウイチへの感情は口うるさい年長者への反発に見えた。(記憶を振り返ると流石に父とは言えなかったが叔父さんくらいの距離感ではあったかなと…)
最終的にショウリはコウイチの意志を継いで、次世代のスターとなることを予見させるラストを迎える。それは佐藤勝利の帝劇への帰還という文脈にも重なって見える物語だった。

 

今年は違った。

そこには30代前半のコウイチと、20代後半のリカとショウリがいた。リカとショウリは釣り合いが取れた幼馴染で、兄的存在であるコウイチに対する憧れを共有する。
しかし一幕のラスト、壊れてしまったショウリは階段の上で刀を投げ、
第二幕にいたショウリとリカはコウイチが掛けていた魔法が解けてしまったように、少年と少女の姿をしていた。
そしてラスト、コウイチとのステージを通して、ショウリはコウイチの力に頼らず少年から青年へと成長していくことを決める。そんな物語に見えたのだ。

 

色々魔法だ兄弟だなんだと繕ってここまで書き進めたが、観終わった直後の感想は「プリキュアじゃん」だ。プリキュアは変身すると全盛期の年齢になるのだ。(詳しくは「キュアエース」「キュアフラワー」で検索してください)
彼らは全盛期の姿を思うままに操っていた。

 

第一幕、そこに私が勝手にかけていた「兄弟ではない」というフィルターは無くなっていた。コウイチの弟/妹のようなショウリとリカの姿はどこか大人びていて、物語上の台詞でもある「背中を見て」「必死に食らいついてきた」*7そのままで、それはコウイチの魔力にも、演目としてのEndless SHOCKの魔力にも、中の人たる演者たちの実力にも見えた。

コウイチも明確に若かった。雑誌などでも堂本光一はコウイチの不完全性について言及しているが、このコウイチは例年と比較しても未熟で感情的で、かつ生きたいという気持ちに溢れる若さがあった。具体的には、コウイチが新聞の一面を飾った!のシーンでその一面がステージ横に投影され、その写真が結構前の堂本光一アー写のようなのだが、そのくらいの年齢に見える瞬間が多々あった。*8

直近に観た博多座SHOCKの明らかにアラフォー(主観)でもうこれだいぶ殺される気満々じゃん…みたいなコウイチと比べると特に差が歴然だった。

私は若い頃の彼をそんなに知らないので、それはやっぱりステージの、そして本人由来の魔力だったのだと思う。*9

一方で第二幕。衣装の影響も大きいのだろうが、Don’t look backのシーンのショウリは一幕のショーより明らかに年齢が巻き戻っていて、しかもそれが物語上全く不自然じゃなくて吃驚した。本当にこの子がさっきまでコウイチとやりあってたっけ、と思うほどだったし、それはリカも同様だった。歴代で一番若いリカをここで初めて認識したし、楽屋にコウイチが蘇ってカンパニーのメンバーとわちゃわちゃやってる時の嘆き具合動揺っぷりは歴代で一番若い女の子に見えるそれだった。21歳だ…若ァ…(幕間で検索した情報補正含む)

確かライバルからリカへの好意って「コウイチへの対抗心に由来するもの」と設定されてた記憶があるんだけど、今回のSHOCKは純粋にリカのこと大好きな感じがして(SOLITARYでリカとの出番奪われたショウリの叫びが可哀想過ぎてマジで泣いた)何ならHigherでめちゃくちゃショウリの心配してるのとか罪の告白シーンでショウリの理解者感がにじみ出ているのとか見たらショウリとリカの関係を引き裂く間男だったのではコウイチ?思ったもん…いくらリカの中の人が容姿端麗小顔アイドルという勝利と組ませたい属性持ちとはいえ…

そして最後の演目。ショウリとリカはコウイチに再び必死に食らいつき、背伸びした年齢に戻し、コウイチがいなくなった後でもその魔法は解けない。それはコウイチに着いていくことだけを考えて手にしていた虚実ではなく、彼ら自身の魅力を手に入れた証のようだった。

ラスボスを倒して大人になった後の姿が描かれるタイプのプリキュアじゃんって

 

結論:今年のショウリSHOCKはエンターテインメントの魔法盛り盛りで最高でした。
麗乃リカ21歳/宏光37歳/光一44歳のヒロミツ公演が!!!不安!!!!楽しみ!!!!!*10

 

 

おまけの全然話に盛り込めなかった感想:

ここまで書いといて滅茶苦茶なことを言うと、去年から一番具体的に変化したのはたぶんビバリオーナーだった。元スターというよりも保護者としての属性が強い。去年カホオーナー観て「復活したコウイチへの動揺が強いオーナー、新鮮だ」と思ったけど割とそっち寄りだったしリカのメンタルケア量が例年にないレベルだったしコウイチに対するアドバイスも親心がマシマシだった。ショウリの変化は多分ショウリを演じることに慣れたことによる余裕も多分に影響していると思うが、ビバリは確実に演技プランが違うと思う。それからショウリの一幕ソロ曲MOVE ONも表情の作り方とか振りとかなんかビックリするくらい宏光を感じたのでダブルキャスト互いに演技寄ったことによってショウリが大人びた可能性はあるかもしれない

*1:オーナーの扱いは割と変わっているがそれはともかく

*2:もちろんジャニーズに対して大した知識を持たない観客のことも楽しませるように出来ていることは重々承知だが

*3:ユウマだけ分からないのでこの書き方になった

*4:ユウマにしたって少年隊をメインストリームとする舞台班(ツバサ・ヤラ・ウチなど)の後輩という属性はあったはず

*5:ハムレットでは兄を殺したクローディアスが自らの罪を懺悔しているシーンがあるのだが、これらの台詞はDon't Look Back辺りのライバルと明らかに重ね合わせられるようになっている

*6:息子が死んだ(リチャードが殺した)ニュースに対してのショック死

*7:正確な台詞忘れたけど

*8:全然最近の写真だったら本当に申し訳ない

*9:主要キャスト三人の平均年齢の影響も勿論あるだろうし、あとリカ役の中村麗乃さんの歌声は本当にびっくりするくらい神田沙也加さんに似ていたので、沙也加さんがリカを務めてた頃のコウイチになってたんじゃないか…?みたいな気持ちも浮かんだ

*10:去年の体感は三人ほぼ同い年の物語で、二幕になって初めてヒロミツが弟らしさを僅かに出す感じだったけど今回のリカの若さではその展開たぶん成立しないよなって

2022年振り返り

2022年は生きてきた中で一番感情を動かし、そして楽しんだ年だった。必要なこと、やりたいことをやれる分だけやったという実感がある。
こうやって年末に一年の振り返りをするのも三回目になる。基本的に三日坊主の傾向がある私が、こうやって同じようなことを続けられるとすら思っていなかった。それもこれも紛れもなくキスマイのおかげである。

今年は初めてキスマイのツアーに行った年だった。そしてその初めてのツアーで、何箇所も遠征し、その度に毎回毎回沢山の感情を得て帰ってきた。初めてのドーム公演の多ステ。そのほとんどは所謂天井席ではあったが、天井席でも大好きなアーティストのライブであればこれほど楽しめるのだと初めて知った。*1

周年イヤーだった2021年よりもずっとバタバタしていた年でもあったと思う。2月の茶封筒の日の公演中止。メンバーのコロナウイルス感染。年末に突然生じた事務所の変化、グループの恩人の不調。その中で彼らの絆を多くみた。私個人にとって昨年が個々人への好きを育てる年であったなら、今年はキスマイという箱への愛を育てる年でもあった。

それはともかく今年は今年ベストと思ったコンテンツを主観だけで挙げておきたい。

 

〈2022年最高の男 小菅泰治〉

「好き」以外に「恋」という感情軸がある。私はこれをもって(BE LOVEの)玉森裕太に沼落ちした結果、2年後の今も全く熱を落とさないままこのような状況にある。
過去にはバージェスや細川一也に落ちていた。今年は卒業タイムリミットの準レギュラーキャラクター・舞台となる高校の理事長である小菅泰治に凄まじい勢いですっ転んだ。
ここまで恋として名前を挙げた四者、観るだけでボロボロと涙を流したことがあるのだが、小菅に関しては画面に映る度全てのタイミングで毎回毎回泣いていた。初登場から退場シーンまで一度の例外もなかった。
わざわざ名前を上げときながらあのサイコパス妖精の何が好きかは分からないのだが、分からなくても好きになれることこそを恋と呼べるのだと信じている。今後北山さんの黒髪スーツとか、黒髪エプロンとか、見る度に小菅のことを思い出すのだと思います。なんならキスぬい見るだけで割と胸が苦しい。
恐らく今後10年くらい「あれは恋だった」と言い続けると思います。

 

〈2022年最高のドラマ 夫婦円満レシピ~交換しない?一晩だけ~〉

大河ドラマと同じくらい面白い」などとうわ言を呟いていました。歴史ではないので大河ドラマと面白さの質はだいぶ違うよ…
濡れ場があることは分かっていて、こんなハードなドラマをほぼ初めてのほぼ主演みたいなポジションでやるなんて本当にすごいな千賀さんと思っていたらまさかあんなことになるとは…
いやあんなに面白いドラマあるか?!もちろんキスマイ担として過去触れてきたドラマもそれぞれ良質で面白かったものの、あんなに飛び道具みたいな面白さのあるドラマに出会えるとは思っていなかった。過去の思い出に残ったドラマだって社会派なメッセージが自分の信条にハマったときとかしかなかったのに。今後10年くらいどんなに面白いドラマでも私の心の中ではこの作品と戦わないといけないの可哀想過ぎる。あんな最悪のリバステには誰にも勝てないのに。18歳以上のジャニオタ、全員観てくれこのドラマ。ジャニーズの楽曲を一時期「濡れ場の音」としか認識出来なくさせた魔力おかしいから。(少プレのパフォーマンス観たら大丈夫になりました)

 

〈2022年最高の舞台 野鴨-Vildanden-〉

今年一番の現場…はまあライブツアーなんだけど、野鴨が大変に良かったので言及させて下さい。
それこそ夫婦円満レシピとは逆のことを言うけれど、こんなに硬派な物語にドハマリすることがあるとは思っていなかった。あまり古典演劇やストリートプレイに興味がなく藤ヶ谷さんのビジュアルだけ観れたら充分だよな~と思っていたのに、「演劇ってめちゃくちゃ面白いじゃん?!」と思って帰れた希少な体験。
藤ヶ谷さんってどうしても隠しきれない煌めきと愛嬌があるのが魅力的だと思うんだけど、(だからこそ○浦さんの作品であれだけ弱らされたんだと思う)そこがきっちりハマるグレーゲルスが魅力的過ぎた。
あの作品をあれだけキュートに、コミカルに、でも原典のメッセージや重さはそのままに演じられる役者が他にいるとは全く思えない。忍成さんもマジでキュートすぎた。
YouTube企画のガヤさんとか少プレ福島旅でキレッキレだった藤ヶ谷さんのことグレーゲルスっぽいと思っているし勝手な解釈をする迷惑オタクなので完全回復したのはグレーゲルスのおかげと思っている
当時の熱そのままのふせったーもみてね

 

〈2022年最高の遠征先 福岡〉

野鴨に全く劣らず面白く、新たな発見も沢山あったEndless SHOCKと土地の便利さと美味しいご飯と博多座本体の楽しさで思い出として一番強く残ったのが9月の博多遠征だった。ソロで行くのも遠征で行くのも初めてだったんだけど、予習したSHOCKのことずっと考えながら辿り着いて海鮮食べて散歩して電車乗って明太子食べて博多座の大きな看板と階段の写真ノリノリで撮って博多座内のお菓子買ってこんなライバル初めて観たという衝撃で(美味しいはずなのに)全く味のしない生姜焼き食べて二幕観て頭ぐるぐるしながら屋台のラーメン食べて感想書きなぐって甘味食べて…あれ大体ご飯のおかげ…?
ドームツアーの夏が熱中症や体力との戦いで街を楽しむどころではなかったというのもあるけど最高で大好きな街になった。また行きたい。
当時の感想も見てね

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ここまで割と藤と北の話に偏っちゃったけど2期連続で元気に主演をする玉森さんに化物並みの体力精神力を感じてやっぱり最愛の男だなって毎日思っていたし焼き豆腐丸焼きから始まり家事ヤロウのあの遠すぎる猫の手とガバガバ分量とひるパの料理担当という宮田料理イヤーっぷりもよかったしドーム初日に見た明るい髪色の千賀さん王子様過ぎて会場いるとき完全に千賀担の顔してたしドッキリで背後のムンクに気が付く横尾さんの話今後一生すると思うしアリツア後「わたる」言ったりドームライブ後「横尾様」言ったり会場のどこにいても目が合う二階堂さん凄すぎてこの人がライブ作ってくれるなら私の未来は安泰だと思ったしにか海嗚呼にか海あと宮田さんのニコ生での躍進とからくりピエロ最高だったしよく考えると去年はJGRまだ本格始動してなかったからYouTubeを通して無駄に浴びた宮玉全部今年の出来事なのか凄いね?!?!

 

あっという間の一年だった。去年まではこんな楽しい時間を過ごしていることが幻のようにすら感じていたけれど、二年以上続いたのならきっとこれからも私はこのままアイドルを愛したことによる幸せを享受しながら生きていけるのだろう。

2022年も最高でした!2022年の抱負は「宮田さんより楽しく生きる」でしたが!ギリギリ!ギリギリ勝てなかった気がするので来年こそは勝ちます!!!

 

そろそろオリジナルアルバムの情報を下さい

*1:他の通ってきたアイドルたちのライブで天井席をあまり引いていないという事情もあるが

リバステ、千賀健永の千賀健永による千賀担のための「祈り」の曲である説

リバステ最高~~~~~~~!!!!!!!

www.youtube.com

既に何名か和訳をしているのは見掛けたのですが、解釈込みなのでまあ後追いでも良いよね!って感じで元気に気にせず和訳をしました。以下その記録です。

めちゃくちゃ意訳です。この訳にした理由は後述します。今回も英語字幕準拠であり、正確な歌詞は載せていないのでどこか別のところで確かめて下さい。

※Smokin’ Hotでも割と似たようなことをやってます

mtnigenkai1.hatenablog.com

 

 

歌詞

Uh Make a wish now
願い事をしてね

You already know what it is
君はこれから何が始まるか分かるはず

Uh uh Baby it's Rebirth Stage alright
始まるのはRebirth Stage〈再誕生のステージ〉

(Sorry to keep you waiting I'm here)
待たせちゃってごめんね 僕はここにいる

Ready?
準備はいい?


Uh I see you Pretty shawty
かわいくてイケてる君がいる

What's your name?
名前を入力して?

Uh Fall under Abracadabra spell
僕は君の魔法に掛かった

(The throbbing Phase the blooming Rose)
胸が高鳴るPhase〈ステージ〉 開花するRose〈君への愛〉

(yet raging this flow)
渇望されていたこの展開

(Miracles are meant to be seized, there's no point in waiting) Get or None

奇跡は奪うものだから、待ってるだけじゃ1ポイントも手に入らない
得るかゼロかのどちらかなんだ


Heart Ready Groove Ready Breath, let it go
ライフはある、順調だ、息を吸って、解き放とう

(Strike your hand out like you're ready to resist)
君も反撃する準備は出来ているよね、手を伸ばして

I ain't got no damage take it in Just got it strong
こっちのダメージはゼロ たった今レベルアップするところ

(Even if I'm locked on,) I'll get out 
もし閉じ込められても抜け出すよ

You know what's up
君も順調でしょ?

 

Turn my game on Story mode now 
僕のゲームは起動されて、今はストーリーモード

I will never miss every moment with you Alright!
君と過ごした全ての時間は忘れない

(Do you know what day it is today?) You already know 
今日は何の日だと思う?君は知ってるはず

(Don't worry,) I got your candle
心配しないで 君が吹き消すための蠟燭を用意したから

 

Baby it's Rebirth Stage
向かうはRebirth Stage〈再誕生のステージ〉

Dive into the Crossfade
Crossfade〈次のステージ〉に飛び込もう

Shawty shawty shawty It's Reverse Game
ねえ、向かうはReverse Game〈裏面のステージ〉

(Close your eyes, make a wish, wish for it)
Uh blow it out candle now
目を瞑って、願い事をして、蠟燭を吹き消して

Now now now Next stage
次のステージに今すぐ行くんだ

Jump in to Reverse Game
Reverse Game〈裏面のステージ〉に飛び乗ろう

Dive into the Crossfade
Crossfade〈次のステージ〉に飛び込もう

Shawty shawty shawty It's Rebirth Stage
ねえ、向かうはRebirth Stage〈再誕生のステージ〉

(Let's count it out, until the candle)
Uh blow it out candle now
過ぎ去った年月を数えて、今蠟燭を吹き消して、

Go to the Next stage
次のステージに行こう

Jump in to Reverse Game
Reverse Game〈裏面のステージ〉に飛び乗ろう

 

意訳の中身

私はこの曲を
①ゲームの世界を比喩に使った
②千賀さんの千賀担のための
③「祈り」をモチーフとした
メッセージソングだと思っている。

ファンが「祈る」というコマンドを行うことで、次のゲームステージに入って戦う歌。
もっと言うと千賀担の祈りによって、これから千賀健永が一緒に新しいフェーズで戦うことが出来るというメッセージを込めた歌なんじゃないかと思ったのだ。
※ドラマ用の曲であるという大前提をかなり無視した上で書いているので実際は違うと思います。過去の間違いだらけの考察と同じです。

 

①なぜゲームの世界を舞台にしていると思ったのか

・「turn my game on」「Story mode」と明言している→スポーツの試合よりもRPGのニュアンス

・大文字で始めることでいくつかの単語が強調されているが、そのなかでPhaseがある。これはStageと同様ゲームの章立てのニュアンスを含む言葉
ステージ (コンピュータゲーム) - Wikipedia

→Stageを「ゲームステージ」、Reverse Stageは「裏面」と訳すべきと判断
裏面 (ゲーム) - Wikipedia

→「Heart」「resist」「damage」「no point」などのワードもゲーム用語準拠と判断

次のステージはファンやキスマイたちそれぞれが考える任意の新しい目標に向けて頑張るとかそういう感じかなと思っています。A10TION歌詞のNext Stage/Next Decadeとかその辺もあると思う。過去の目標は格差解消とかそういう感じかなって(テキトー)


②なぜファンの「祈り」をモチーフにしていると思ったのか

・冒頭の歌詞で普通に「make a wish」と言っている

前提としてRebirthとBirthが掛かっていると推測した場合に*1

・「アブラカダブラ」と「(誕生日ケーキの)蠟燭を吹き消す」が同じ系統の”祈り”の言葉である
(アブラカタダブラの呪文は疫病退散系の呪文であるという説とバースデーケーキに蠟燭を立て吹き消すのは元々は魔よけの為だったという説が存在するため、特に近しいニュアンスを感じられる)

・そしてアブラカタブラと蝋燭吹き消しが共に「君(ファン)」の行為として描かれている(二番で「your spell」という歌詞がある)

・更にこの二つの行為はCrossfadeというワードとも関連性があると推測が可能
クロスフェードは舞台系の用語でその時点の音・灯りをフェードアウトさせながら、新しい音・灯りをフェードインさせること。(場面転換に用いる手段)
アブラカダブラは直訳すると「消えろ」であり、蝋燭も吹き消すものなので、過去の灯りを消し、新しい灯りを灯させるというニュアンスが籠っているのではないかと推量が可能。(意訳では「新しいステージ」という雑な訳をしてしまっているが)

・A面は「祈り」のカルテの主題歌であり、その"裏面"の楽曲である(こじつけ)

③なぜ千賀さんの千賀担のための曲と思ったのか

※キスマイファン歴二年の玉森担が振りかざす考察です

・楽曲選択・振付・MVコンセプトに千賀健永が関与してるので普通に100人いれば99人はとりあえず千賀さんのための曲と思ってるよ!自分で書いといてアレだけど改めて箇条書きにして書くことでもないよ!(情緒不安定)

・Buzz公開のタイミングで千賀担に向けて「次は本気の歌とダンスで作る」と明言しているので人柄的にこれが彼の予告していた本気かもしれないと個人的に思った

・過去を忘れない、というニュアンスとして捉えることが出来る歌詞が複数ある(I will never miss every moment with you、数えてこうキャンドル分まで)。またこれらはA10TION歌詞の「Do you remember」「Bad times」とある程度対応が見られる

・「お待たせ」が千賀さんの歌割り

・what's upとかGroove Readyは一応「順調」と訳すのが可能私の悪ノリでしかない

・Shawtyとビューティーの音が似ている(クソ与太)

・前述の推測のまま「祈り」をテーマとしたときに、「祈り」は過去の千賀センター曲でもある(こじつけのこじつけ)

 

特に和訳には反映していないけれどMVを見て何となく思ったこと

今回の楽曲(特にMV)では意図的に違和感を入れていると明言されている中で、
空っぽの椅子、表示がおかしい絵画について言及している意見は見かけたものの、そうではない部分について感じた違和感?所感?を書き記しておきます。Twitterでやれよって話なのですが。Twitterでもやったけど。思い出したら増やします。

・類義語の異常な多さ

・一番の北山パート「高鳴るPhase」、絶対に「たかなる」とは読んでない
英語のThrobbingとルビ振りされている気がしてならない

・アイドル衣装からの変化で千賀だけ黒手袋を突然身に着け、かつ一人だけハットを被ってる場面があるのは死神っぽい
私がトッケビとか死神くんとか観てたからイメージ引っ張られているだけで基本は全然マイケル・ジャクソンの方向だと思うんだけど、アブラカダブラってハリーポッターだと死の呪文だしタロットにおける死神の逆位置(Reversed)は再生(Rebirth)の意味があるらしいしあり得る範疇かなって…

*1:MVで丸く置かれた椅子は、観測者のメタファーであると同時にバースデーケーキと蝋燭のメタファーと推測。外周の椅子がケーキの縁で内周が蝋燭。内周の椅子の個数は12個であり、次の8月にはデビュー12周年を迎えることにも掛かっているのではないか?と個人的には考えている。

博多座のヒロミツを観てきました

全部私の感じた個人的な感想だけの話なので正しいかは全然知らないというか「誤読上等!」という気持ちで書いています。どうせ間違うんだよ人間は!過去の考察記事などから私の読解力と記憶違いの多さについては察してやって!

 

Endless SHOCK。ジャニーズの真髄である「Show must go on」を最も色濃く伝える舞台。
ジャニーズ事務所」というコンテンツを愛するにあたって、外せないものだという感覚は昔からあった。初めて観たのは2015年か2016年、ライバルがヤラで末っ子がカイトのとき。それ以降しばらく観ていなかったが、キスマイに落ちてそのままジャニーズ事務所への熱を取り戻したタイミングで、タツヤのEternalも本編映画も観に行っていた。そしてその物語に、北山宏光がライバルとして出演することになった。考察厨としての私が最も熱を上げるその人が。

観劇回数の少なさの割にずっとSHOCKという物語も「Show must go on」のメッセージも大好きだった。「ジャニーズ」が好きだったのは「Show must go on」というメッセージが好きだったからだと言っても過言では無い。けれど北山宏光の出演するSHOCKを観たとき、私は「Show must go on」という言葉の意味、そしてSHOCKが伝えようとするメッセージを初めて正しく理解出来たような気になった、その話をしたい。

 

観劇までに見たことのあるSHOCKは前述ヤラ公演・2021タツヤ(Eternal・映画本編)・2022ショウリ(配信本編・Eternal)と、DVDを買った2002ツバサ(ただしストーリーが全く違う)・2005ツバサ・2008ヤラバージョン。DVDの方は正直こういう文章が書きたくなることを見越して観ていたし記憶も鮮明だが、配信と生で観た方の記憶は曖昧である。正直今年のヒロミツと比較するのだったらもっと最近のDVDを買った方がいいと思う。中古が安くて無意識に買えてたのがここまでだった
ついでにハムレットとリチャード三世を読み、ドリボやSHOCKの原型となる少年隊ミュージカルの知識も若干ある状態で観劇している。

 

結論として、SHOCKは「立ち止まることは悪ではなく、皆で協力しながら最終的に続けられていることが良い」という話だったのだと私は解釈した。ラストのコウイチの台詞を素直に言葉通りに受け取るべきだったのだ。過程としてはコウイチの失敗をライバルが繰り返さず、次に繋げるストーリー。世代交代の物語なのに、これまではコウイチとライバルが"別の考え方を持つもの"として描かれてたことによってその構造を私は理解出来ていなかった。
何か大きく脚本が変わったわけではなく、ただただ偶然私の低い読解力にヒロミツと言うライバルが嚙み合っただけなのだとは思う。そして恐らくライバルによって伝えたいメッセージも少しずつ変化している。*1ただとにかく自分にとって今回の物語は「理解出来た気がする」と言う意味で特別だった。

ヒロミツがコウイチと近い存在として描かれていた。結果としてコウイチの神格化が薄れた。恐らくその辺りに理由がある。

 

まず、オープニングからして、ヒロミツは等身・髪型・歌声・ダンスがコウイチにかなり近い状態だった。*2
そして言動についても、コウイチとの差異が少なくなっていた。

これまで、ライバルは以下の5点の違いを見せつけられたことによって刀をすり替えるという凶行に至ったと私は解釈している。

①千秋楽で次のステージの話をするコウイチ
②ナオトをカンパニーに誘おうとする
③大劇場に行くことに懐疑的
④トラブルに対応するのが正しい(コウイチ)/最初からトラブルを起こさないことが正しい(ライバル)
⑤リカに振り向いてもらえないこと

 

一方で、ヒロミツについては

①千秋楽で次のステージの構想を考えているコウイチに対して引いてない(歴代ライバルは発想の早すぎるコウイチに引いてた気がするが、ヒロミツはそうだねくらいのニュアンスの表情)*3
②ナオトのパフォーマンスに好意的(かなり面白がっているしコウイチとリアクションが近い、足すと面白くなることは分かってて、ただ今の自分たちで勝負したい)
⑤リカへのアプローチを通してカンパニーの仲間とコミュニケーションを取っているというか、振り向いてもらえないことが前提のような振る舞いをしている(振り向いてもらえないことよりも、2番手同士として発想の近さを信じていたのにコウイチ側に付かれたときに苛立っているように見えた)

と、多くのシーンではコウイチとの差が見えづらくなっていた。
結果的に大きく声を荒げていた残りの部分のわずかな思考回路の差が、「ヒロミツにとっての埋められない距離」なのだろうと感じさせるようになっていた。

 

そしてこれに伴い、コウイチについても若干の変化を感じられた。ライバルによってはエースとしての格とか余裕が強めなコウイチが、歴代で間違いなく一番弱っているように見えたのだ。

例えば楽屋のシーン。「出れなかった苛立ちでスタッフに八つ当たりしてるヒロミツ」の一方で、コウイチの「お前はステージに出るな」が「自身一人で走り続けることに限界が見え始めた苛立ちでヒロミツに八つ当たりしてるコウイチ」みたいなシンクロが初めて発生しているように見えた。(今まではコウイチの正しさの方が強調されすぎていた)
楽屋シーンの後半、ヒロミツは顔を見せず後ろを向いていたのだが、そのときの姿勢が全くコウイチと一緒のため、「これコウイチとヒロミツは同じ表情してるんじゃないか」と推測出来るような状態になっていた。

例えばジャポネスクのラストシーン。囚われのリカがいる階段の上に向かうヒロミツの表情が(演技として)激疲れのボロボロで驚愕したのだが、これがコウイチのボロボロの「死に損ない」状態と対応しているように見えた(コウイチは前からボロボロだったが)。最後に一緒に階段にいるのが一番若いリツキとハヤトの二人なので、コウイチとヒロミツが同じ限界年上チーム(言い方)に所属している感覚があった。率直に言ってこんなに疲れているコウイチとライバルを初めて観た。

例えば刀をすり替えたという罪を告白するシーン。そこにあるのは立ち止まることを恐れすぎたコウイチとと走り続けるコウイチを恐れすぎたヒロミツ、共にショービジネスの世界の闇に呑まれた二人だった。

 

コウイチとライバルの関係性だけでなく、コウイチとオーナーの関係性にも、今回のオーナーはコウイチとの共通項として「孤独」を感じ取れやすくなっており(オーナーにはもう同年代の仲間がいない)、コウイチの弱さ・人間らしさが見えやすくなっていた。*4個人的にビバリオーナーは戻ってきたコウイチを一瞬戸惑いはしたものの度量で受け止めて楽しんで踊って、踊ったあとは笑顔だった気がするのに対して、カホオーナーは踊ってる瞬間しか笑顔じゃないのが印象的だった。オーナーに弱さが見えるのだ。*5

また、リカについても、コウイチを追いかけるもの同士としてのライバルとの相似が見えやすくなり、これに加えてカホとシルエットがかなり似ていることによりオーナーとの親子関係に強い説得力が発生しており、結果的に四者は基本的に似たもの同士であるがそれぞれ違う、という要素が見えやすくなっている。

 

そもそもの話として、コウイチが負っているいくつかのアイコンのうちには間違いなくキリストが含まれる。自分が全く詳しくない宗教の話をし過ぎるのもアレなので語りはほどほどにしたいが、シェイクスピアモチーフの物語の時点でキリスト教モチーフからも逃れられないのだが、磔にされる十字架・墓や棺のデザイン・やり取りされるネックレスの十字架・ジャポネスク始まりの背景の切り取られ方・流される血・死んでから復活すること、懺悔、全部ものすごくキリスト。*6

また、コウイチには「ジャニー喜多川」というアイコンも含まれている。その要素は色々あるが、「シェイクスピアをやりたい」と言うのが以前はオーナーだったのがコウイチになったり(割と昔からかもしれないが)、Eternalが想起させるものがジャニー喜多川の葬式であったりと、近年のSHOCKについてはそのアイコンの色は強められる傾向にあった。

 

しかし今回の博多座SHOCKにおいては、ここまで書いたようにコウイチに似ている人たちが多くいると感じさせられており、「キリストもジャニーも同じ劇に四人もいてたまるか」と言う気持ちでこの辺の人間離れしたものの属性が薄められていた。個人の感想だよそれ

 

その代わりに強まっていたのが、リチャード三世のモチーフだ。
このキャラクターは、手段を選ばず孤独に一人でトップに上り詰めるのに対し、物語をよく読むとアン(リカが演じてる役)を口説けてすごいはしゃいでいたり、悪夢にうなされたり、自分が悪党か自問自答したり、誰一人自分を愛していないことに絶望したりとかなり人間らしい面があるキャラクターでもある。

実際リチャード三世は物語上でコウイチとヒロミツの両名によって演じられている訳で、同じ人間らしい要素が分け合われていると読みとることが出来るようになっている。*7

 

加えて更に、個人的には(予習したことによって)一方的にコウイチの兄のアイコンを拾っていた。今の整理されたEndless SHOCKという物語ではコウイチとライバルという二世代の物語であるが、これ以前はコウイチにも先達がいる三世代の物語だった。

その一世代目はコウイチの兄(ヒガシだったり光一の二役だったり)となる。この兄の死因は(内実は色々あるとしても記号としては)「自殺」だと物語内で明文化されている。
この場合、コウイチの死はライバルを付き合わせただけの「自殺」と捉えるべきとなり、
そしてライバルがリカに短剣を渡すシーンはライバルがコウイチから継いでしまった自殺願望そのままともなる。*8

ハムレットの台詞である「生きるべきか死ぬべきか」も「父のために泥水啜って復讐のために狂人を装って前に進んで生きるべきか、立ち止まって心の安寧が訪れる自殺をするべきか(ド意訳)」というニュアンスの台詞ではあるので、「自殺」というある種人間らしいモチーフが物語に組み込まれていると解釈しても問題は無いように思えた。*9

 

ここまでモチーフの認識を改めたことによって、私はようやく生前のコウイチは人間らしいところも多く、間違いがあったキャラクターだったと読み取ることが出来た。

 

今までのSHOCKを観たとき、ライバルはその属性の違い故にコウイチになることができなかったから、コウイチが蘇ったのだと思っていた。
しかしヒロミツの公演では「踊り続ける」がSMGOの象徴であり、「お前は踊り続けてたんだよ」がコウイチからライバルに精神が受け継がれていたのだと、台詞の言葉通りに認識することが出来た。コウイチに在ってライバルに足りていなかった何らかのパーツを、コウイチを殺したことによって受け取ることができてしまったと認識することが出来た。

つまり、「コウイチになること自体が失敗(そのままだと自殺などが原因でキャリアとしてのショーが続けられなくなる)」であり、その失敗を繰り返させないためにコウイチが蘇ったのだと理解することが出来たのだ。

 

印象的だったのはHigherで「本当の孤独がお前を呼ぶ」で潤んでるヒロミツの目がちょっと開いてる気がした部分だ。
孤独の辛さを感じていたライバルは、コウイチが蘇ったことにより孤独を選ぶことの間違い・自分は孤独ではないことを知り*10、カンパニーと一緒に公演をやることを望む。「どうしてもコウイチとパフォーマンスをしたい」というライバルの願いは、協力の象徴であると同時に、「立ち止まること」の象徴でもある(本来はコウイチのように新しい演目を作らなくてはいけないが“振り返り“、二幕でハッピーエンドにならなかった日本モチーフの演目の“やり直し”をしている)。

そして、揺れ動きつつも最終的に生身の人ではない方のアイコンを選んでしまったコウイチとは違う道を選び、ショーを続けていく、そういう物語だったのだ。
CONTINUEの歌詞である「地上に生きることを選んだ」というのは、ライバルが人であり続けることを選んだことを意味している…のかもしれない。

 

この気づきを得られた博多座公演に感謝!もっとチケット取りやすくして!!帝劇でやって!!!ありがとうEndless SHOCK!!!!!

 

この結論に至ったのは、脚本がほぼ同じショウリが後継者としてのアプローチが強い(もしかしてこれも世代交代の物語…?)となったこととか、ドリボも今はSMGOの弊害というかエマがかつて立ち止まらなかったことによる悲劇みたいな部分が主題になり始めていると認識した影響とかも絶対にあるし、2010年代の知識が無い状態の結論なのでまた履修を重ねたら違う気持ちになるかもしれないし、リョウもトウマもユウマも今回のショウリもヒロミツも映像化されてない年のツバサとヤラとウチとタツヤもまとめて全部映像化されてほしい

*1:ヒロミツだとコウイチの「疲れ」みたいなのが強調されてると考えてこの文章を書いているが、タツヤだとコウイチの「怒り」の方が強かった気がする

*2:ミュージカル合わせとはいえ普段の発声とかなり違くてコウイチに寄せてるように感じたし、ダンスも普段は気迫を足しているようなところをすごく丁寧に踊っている気がした

*3:(他のタレントも根底はちゃんとジャニーさんの血が流れているはずだが)宏光は特に頻繁にジャニーさんの「YOUたち何浸ってるの、僕は次のステージのことを考えているよ」という発言の引用をしている以上、驚く演技は観ている人にとって完全な嘘になるとかその辺も関係しているのかな〜と…

*4:以前は以前で「スター性」「オーラ」みたいな部分を共通項として感じ取れやすかったが

*5:ここまで書いたヒロミツの特徴が、中の人である宏光の得意な表現に依拠しているのと同様の差がオーナーでも発生していたと考えている

*6:赤い階段の上に突き刺さってる刀の視覚イメージも教会のレッドカーペットと十字架のイメージかもしれないと思っている

*7:歴代ライバルの中でもヒロミツは(宏光は)手段を選ばない方な気がするので、その部分でライバル=リチャード三世の対応も強まっていた

*8:SHOCKの直前にドリボを観に行って「これチャンプの自殺に主人公を付き合わせた話では?」なっていたせいで思考が引っ張られた自覚はある

*9:SOLITARYラストの拳銃自殺については個人的にはあんまり関係ないと思っている…何故なら帽子が頭から外れて銃声で終わるパフォーマンスはジャニーズだとずっと昔からあるようなので…(アンダルシアに憧れての類型)(たぶんアラン・ドロン映画とかが根底にあるんだろうなーとは思うんだけど流石に検証が厳しい)

*10:リチャード三世のモチーフが孤独、台詞に誰一人俺を愛していない、俺自身自分に憐れみを感じないみたいな台詞がある