eternalを見て、初日の自分の解釈は間違っていたんだろうな、と思った。
帝劇の一幕のヒロミツは少し幼かった。王族の子供のようだと思った。二幕のヒロミツは悪堕ちしていた。その感覚までは間違ってなかったと思う。
本編だけを見た時点では、人を惹きつけるためにわざと幼く振る舞っているのだろうと思っていた。
でも、帝劇のヒロミツは本当に幼かったのだろうと今は思っている。
eternalでは、あのとき何を考えていたのかという心情の補足がされている。全部で何箇所あったかは覚えていないが、ジャパネスクの幕間に口論したときや、コウイチが階段から落ちていくときなど。
当時の心情を語るヒロミツはずっと子供のように泣いてた。泣いてるように見えた。
帝劇ヒロミツは、過去のどのライバルよりも無表情でいることが多かったのは確かだと思う。私はそれを、「無表情がヒロミツの素に近いから」「心が冷え切っているから」なのだと解釈してしまっていた。
でもそれは、必死に心情を隠していただけだったのかもしれない。
私は以前、こんなツイートをしていた。
主観として過去や朧気な記憶の中のSHOCKは「どちらかというとライバルの方が悪い」、去年のショウリは「コウイチが全部悪い」、去年のヒロミツは「両方平等に悪い」で、それでいて今年のショウリは「誰も悪くない」だったんだけど、ここまで来ると今年のヒロミツ本当どうするんだよという気持ちがある
このときショウリの公演で「誰も悪くない」と思ったのは、Don't Loot Backで「自分を責めるな 誰のせいでもない」とコウイチがショウリに歌いかける部分が強く印象に残ったからだった。
ヒロミツの公演では、ヒロミツの孤独に気づいてあげられなかったと悔やむオーナー、コウイチの眠る病院に通ってるヒロミツを見て認識を改めるリカ、ヒロミツのことを見直したんだと雨の中で語るマツザキが強く印象に残った。
そのせいで、観劇後の私は勢いで「ヒロミツのことをちゃんと見れていなかったコウイチ以外のカンパニー全員が悪い」とツイートをしてしまっていた。
本当は誰が悪いとかではないのだと思う。でも今回のeternalでは、登場人物みなが罪を背負っているようにも見えていた。
※この辺りから段々と主観が強くなっていきます
ヒロミツの不幸は能力が高すぎたことだったのだと思う。
Yes, My Dreamで「俺がステージじゃパーフェクト」と歌うヒロミツのパーフェクトっぷりは確かなスキルが伴う説得力のある歌だったし、序盤時点でヒロミツがコウイチに劣っている部分は一つも見えなかった。
そのせいなのか、なんというか、みんなコウイチのことばかり気にかけていた。スキル以外の部分を考えても、コウイチもヒロミツも同じくらい弱かったのに、
破天荒な発言をするコウイチと常識的な発言をするヒロミツや、
意外と提案ベースで発言をするコウイチ(シェイクスピアをやりたいといったのに結局やってない)と自信満々に発言をするヒロミツという比較のもとで、
ヒロミツは手のかからない人間として信頼された一方で、コウイチにばかり注目が集まってしまっていたのだろうなと思う。特にヒロミツは結構目の動きが分かりやすいのもあって、気遣い屋の一面も感じられた。コウイチとヒロミツが街で口論になったとき、ケイがヒロミツのことを追いかけたがるのも信頼の証のように見えた。
故に、あの事故までヒロミツの少し子供じみた部分が気づかれることがなかった。
これ、宏光の一人っ子の性質を強く反映したヒロミツだったからなんじゃないかという気がしている。ライバル初の一人っ子、自立してて一人でも楽しそうなんだけど、構ってちゃんな部分が突然出る感じ…
本編ではエンディング*1の前に子供時代の回想のようなシーンがある。一緒にダンスの練習をするコウイチとライバルの声。
従来のこのシーンは、「兄弟のように育ってきた二人は、あれだけの悲劇があったけれど、本当は心が通じ合ってた」ことを表す役割があったと思う。
でもヒロミツ公演においては、「二人はまだずっと子供の頃の心を持っている」ということを示す役割を果たしていたんじゃないかと思った。
eternalでは子供時代の声は流れなかったと思うが、シーンの繋ぎの暗闇の中で思い出したのはMOVE ONの歌詞だった。
もっとはしゃいじゃって 君と僕だけのSecret dance all night
そうさ いつでも 君と踊っていたいんだ
もっと 遠くまで 命尽きるまで
もっと はちゃめちゃに 夢の先まで
「君と踊っていたいんだ」と歌っているときはステージ上にリカがいるし、この曲の中では「恋心」というワードも登場する。だからリカに向けた歌、リカの心を奪うコウイチに嫉妬している歌だと思っていた。
でも、MOVE ONに登場するリカは、赤いドレスを着ている。赤は、コウイチを象徴する色でもある。
だからこれはもっと、「コウイチとずっと踊っていたい」という子供の頃から何も変わってない気持ちをまっすぐ描いていた歌だったのかもしれないと思った。
ヒロミツのeternalで最も印象的だったのは、コウイチとHigherを踊る部分だった。このシーンは去年のショウリ公演の途中から追加されたものであり、過去の比較対象はショウリしかいない。
本編では、コウイチの挑発にもカンパニーメンバーからの誘いにも乗らず、壁にもたれかかって終わってしまうシーン。eternalでは途中から意を決したように飛び込む。
パンフレットで、宏光は「ヒロミツがあの事故を乗り越えられたのはHigherを踊ったときに後悔や苦悩に一つの区切りがつくからではないか、ならばそこから逆算してヒロミツの心の動きを表現したい」という旨のコメントをしていた。*2
ショウリの公演におけるHigherは、コウイチとショウリが一緒に踊るifの世界線。二人が一緒にもっと上を目指して、コウイチがショウリにセンターの座を譲る、その未来を空想させるようなものだったと思う。二人は本当に楽しそうだった。
でもヒロミツの公演におけるHigherに対しては違う見方が出来た。ヒロミツは踊る中でもずっと、どこか痛くて苦しそうな顔をしているように見えたからだ。
Higher前、ヒロミツはコウイチのことを強く睨みつけている。そのときヒロミツがコウイチに抱いていた感情は怒りであり、痛みを引き受けて真ん中で踊る姿への嫉妬だったんじゃないかと思った。
eternalでは、ジャパネスク前の幕間の回想として、「コウイチのポジションも自分がやれと言われたときに、やってやるよと言い返せず、逃げ出した」という旨のことを言っていた。
その対比になるのがHigherなんだと思った。
eternalのHigherは、Endless SHOCKという作品の中で唯一、コウイチとライバル両方が踊ってるときにライバルの方が良い位置で踊る、言い換えると「ライバルがコウイチのポジションで踊っている」演目だ。
だからこのHigherは「あの事故の前のときと違って逃げ出さずに痛みに飛び込み、コウイチのポジションを担ったこと」を象徴する瞬間を示しているのだろうと。
"自分のこと受け止める(CONTINUE歌詞)"には痛みが伴う。あのときヒロミツは自分の子供じみた一面や抱いてきた負の感情やコウイチを殺してしまった罪を受け止め、痛みを表現の糧とするエンターテイナーとして成長したのだと思う。
だからあのHigherはNew York Dreamで描いていたifとは少し違って、コウイチの不在を受け止める儀式のようなものだったんじゃないかと私は思ったのだった。
本編を見ているときはヒロミツしかロックオンできていなかったため気が付かなかったものの、今回、コウイチは消える直前に満面の笑みを浮かべていたことに気がついた。とても楽しそうだった。
コウイチが復活する意味は、おそらくライバルごとに少しずつ違う。ライバルの性質によって、一番伝えたい言葉も変わっていると思う。
ただ、一緒に踊るHigherはeternalにしか存在しない。だからあの一瞬は復活したコウイチとショーをやった日と三年後のお墓参り、その間のどの時系列に位置しているかは観客が勝手に設定する余地があると思っている。Higherで区切りがついたとするのなら、あのショーはヒロミツの成長に対しては必ずしも必要なかったのでは無いか、そんな気がする。
だから今回は、コウイチは何を伝えたいかというよりも、「子供のときのように一緒に楽しく踊りたかった」その未練を果たすためだけに戻ってきたんじゃないかと思ってしまった。
私にとってはそういうほろ苦さが残るeternalでした。色んな人の解釈が見たい。今すぐ本編をもう一度観たい。