星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

博多座のヒロミツを観てきました

全部私の感じた個人的な感想だけの話なので正しいかは全然知らないというか「誤読上等!」という気持ちで書いています。どうせ間違うんだよ人間は!過去の考察記事などから私の読解力と記憶違いの多さについては察してやって!

 

Endless SHOCK。ジャニーズの真髄である「Show must go on」を最も色濃く伝える舞台。
ジャニーズ事務所」というコンテンツを愛するにあたって、外せないものだという感覚は昔からあった。初めて観たのは2015年か2016年、ライバルがヤラで末っ子がカイトのとき。それ以降しばらく観ていなかったが、キスマイに落ちてそのままジャニーズ事務所への熱を取り戻したタイミングで、タツヤのEternalも本編映画も観に行っていた。そしてその物語に、北山宏光がライバルとして出演することになった。考察厨としての私が最も熱を上げるその人が。

観劇回数の少なさの割にずっとSHOCKという物語も「Show must go on」のメッセージも大好きだった。「ジャニーズ」が好きだったのは「Show must go on」というメッセージが好きだったからだと言っても過言では無い。けれど北山宏光の出演するSHOCKを観たとき、私は「Show must go on」という言葉の意味、そしてSHOCKが伝えようとするメッセージを初めて正しく理解出来たような気になった、その話をしたい。

 

観劇までに見たことのあるSHOCKは前述ヤラ公演・2021タツヤ(Eternal・映画本編)・2022ショウリ(配信本編・Eternal)と、DVDを買った2002ツバサ(ただしストーリーが全く違う)・2005ツバサ・2008ヤラバージョン。DVDの方は正直こういう文章が書きたくなることを見越して観ていたし記憶も鮮明だが、配信と生で観た方の記憶は曖昧である。正直今年のヒロミツと比較するのだったらもっと最近のDVDを買った方がいいと思う。中古が安くて無意識に買えてたのがここまでだった
ついでにハムレットとリチャード三世を読み、ドリボやSHOCKの原型となる少年隊ミュージカルの知識も若干ある状態で観劇している。

 

結論として、SHOCKは「立ち止まることは悪ではなく、皆で協力しながら最終的に続けられていることが良い」という話だったのだと私は解釈した。ラストのコウイチの台詞を素直に言葉通りに受け取るべきだったのだ。過程としてはコウイチの失敗をライバルが繰り返さず、次に繋げるストーリー。世代交代の物語なのに、これまではコウイチとライバルが"別の考え方を持つもの"として描かれてたことによってその構造を私は理解出来ていなかった。
何か大きく脚本が変わったわけではなく、ただただ偶然私の低い読解力にヒロミツと言うライバルが嚙み合っただけなのだとは思う。そして恐らくライバルによって伝えたいメッセージも少しずつ変化している。*1ただとにかく自分にとって今回の物語は「理解出来た気がする」と言う意味で特別だった。

ヒロミツがコウイチと近い存在として描かれていた。結果としてコウイチの神格化が薄れた。恐らくその辺りに理由がある。

 

まず、オープニングからして、ヒロミツは等身・髪型・歌声・ダンスがコウイチにかなり近い状態だった。*2
そして言動についても、コウイチとの差異が少なくなっていた。

これまで、ライバルは以下の5点の違いを見せつけられたことによって刀をすり替えるという凶行に至ったと私は解釈している。

①千秋楽で次のステージの話をするコウイチ
②ナオトをカンパニーに誘おうとする
③大劇場に行くことに懐疑的
④トラブルに対応するのが正しい(コウイチ)/最初からトラブルを起こさないことが正しい(ライバル)
⑤リカに振り向いてもらえないこと

 

一方で、ヒロミツについては

①千秋楽で次のステージの構想を考えているコウイチに対して引いてない(歴代ライバルは発想の早すぎるコウイチに引いてた気がするが、ヒロミツはそうだねくらいのニュアンスの表情)*3
②ナオトのパフォーマンスに好意的(かなり面白がっているしコウイチとリアクションが近い、足すと面白くなることは分かってて、ただ今の自分たちで勝負したい)
⑤リカへのアプローチを通してカンパニーの仲間とコミュニケーションを取っているというか、振り向いてもらえないことが前提のような振る舞いをしている(振り向いてもらえないことよりも、2番手同士として発想の近さを信じていたのにコウイチ側に付かれたときに苛立っているように見えた)

と、多くのシーンではコウイチとの差が見えづらくなっていた。
結果的に大きく声を荒げていた残りの部分のわずかな思考回路の差が、「ヒロミツにとっての埋められない距離」なのだろうと感じさせるようになっていた。

 

そしてこれに伴い、コウイチについても若干の変化を感じられた。ライバルによってはエースとしての格とか余裕が強めなコウイチが、歴代で間違いなく一番弱っているように見えたのだ。

例えば楽屋のシーン。「出れなかった苛立ちでスタッフに八つ当たりしてるヒロミツ」の一方で、コウイチの「お前はステージに出るな」が「自身一人で走り続けることに限界が見え始めた苛立ちでヒロミツに八つ当たりしてるコウイチ」みたいなシンクロが初めて発生しているように見えた。(今まではコウイチの正しさの方が強調されすぎていた)
楽屋シーンの後半、ヒロミツは顔を見せず後ろを向いていたのだが、そのときの姿勢が全くコウイチと一緒のため、「これコウイチとヒロミツは同じ表情してるんじゃないか」と推測出来るような状態になっていた。

例えばジャポネスクのラストシーン。囚われのリカがいる階段の上に向かうヒロミツの表情が(演技として)激疲れのボロボロで驚愕したのだが、これがコウイチのボロボロの「死に損ない」状態と対応しているように見えた(コウイチは前からボロボロだったが)。最後に一緒に階段にいるのが一番若いリツキとハヤトの二人なので、コウイチとヒロミツが同じ限界年上チーム(言い方)に所属している感覚があった。率直に言ってこんなに疲れているコウイチとライバルを初めて観た。

例えば刀をすり替えたという罪を告白するシーン。そこにあるのは立ち止まることを恐れすぎたコウイチとと走り続けるコウイチを恐れすぎたヒロミツ、共にショービジネスの世界の闇に呑まれた二人だった。

 

コウイチとライバルの関係性だけでなく、コウイチとオーナーの関係性にも、今回のオーナーはコウイチとの共通項として「孤独」を感じ取れやすくなっており(オーナーにはもう同年代の仲間がいない)、コウイチの弱さ・人間らしさが見えやすくなっていた。*4個人的にビバリオーナーは戻ってきたコウイチを一瞬戸惑いはしたものの度量で受け止めて楽しんで踊って、踊ったあとは笑顔だった気がするのに対して、カホオーナーは踊ってる瞬間しか笑顔じゃないのが印象的だった。オーナーに弱さが見えるのだ。*5

また、リカについても、コウイチを追いかけるもの同士としてのライバルとの相似が見えやすくなり、これに加えてカホとシルエットがかなり似ていることによりオーナーとの親子関係に強い説得力が発生しており、結果的に四者は基本的に似たもの同士であるがそれぞれ違う、という要素が見えやすくなっている。

 

そもそもの話として、コウイチが負っているいくつかのアイコンのうちには間違いなくキリストが含まれる。自分が全く詳しくない宗教の話をし過ぎるのもアレなので語りはほどほどにしたいが、シェイクスピアモチーフの物語の時点でキリスト教モチーフからも逃れられないのだが、磔にされる十字架・墓や棺のデザイン・やり取りされるネックレスの十字架・ジャポネスク始まりの背景の切り取られ方・流される血・死んでから復活すること、懺悔、全部ものすごくキリスト。*6

また、コウイチには「ジャニー喜多川」というアイコンも含まれている。その要素は色々あるが、「シェイクスピアをやりたい」と言うのが以前はオーナーだったのがコウイチになったり(割と昔からかもしれないが)、Eternalが想起させるものがジャニー喜多川の葬式であったりと、近年のSHOCKについてはそのアイコンの色は強められる傾向にあった。

 

しかし今回の博多座SHOCKにおいては、ここまで書いたようにコウイチに似ている人たちが多くいると感じさせられており、「キリストもジャニーも同じ劇に四人もいてたまるか」と言う気持ちでこの辺の人間離れしたものの属性が薄められていた。個人の感想だよそれ

 

その代わりに強まっていたのが、リチャード三世のモチーフだ。
このキャラクターは、手段を選ばず孤独に一人でトップに上り詰めるのに対し、物語をよく読むとアン(リカが演じてる役)を口説けてすごいはしゃいでいたり、悪夢にうなされたり、自分が悪党か自問自答したり、誰一人自分を愛していないことに絶望したりとかなり人間らしい面があるキャラクターでもある。

実際リチャード三世は物語上でコウイチとヒロミツの両名によって演じられている訳で、同じ人間らしい要素が分け合われていると読みとることが出来るようになっている。*7

 

加えて更に、個人的には(予習したことによって)一方的にコウイチの兄のアイコンを拾っていた。今の整理されたEndless SHOCKという物語ではコウイチとライバルという二世代の物語であるが、これ以前はコウイチにも先達がいる三世代の物語だった。

その一世代目はコウイチの兄(ヒガシだったり光一の二役だったり)となる。この兄の死因は(内実は色々あるとしても記号としては)「自殺」だと物語内で明文化されている。
この場合、コウイチの死はライバルを付き合わせただけの「自殺」と捉えるべきとなり、
そしてライバルがリカに短剣を渡すシーンはライバルがコウイチから継いでしまった自殺願望そのままともなる。*8

ハムレットの台詞である「生きるべきか死ぬべきか」も「父のために泥水啜って復讐のために狂人を装って前に進んで生きるべきか、立ち止まって心の安寧が訪れる自殺をするべきか(ド意訳)」というニュアンスの台詞ではあるので、「自殺」というある種人間らしいモチーフが物語に組み込まれていると解釈しても問題は無いように思えた。*9

 

ここまでモチーフの認識を改めたことによって、私はようやく生前のコウイチは人間らしいところも多く、間違いがあったキャラクターだったと読み取ることが出来た。

 

今までのSHOCKを観たとき、ライバルはその属性の違い故にコウイチになることができなかったから、コウイチが蘇ったのだと思っていた。
しかしヒロミツの公演では「踊り続ける」がSMGOの象徴であり、「お前は踊り続けてたんだよ」がコウイチからライバルに精神が受け継がれていたのだと、台詞の言葉通りに認識することが出来た。コウイチに在ってライバルに足りていなかった何らかのパーツを、コウイチを殺したことによって受け取ることができてしまったと認識することが出来た。

つまり、「コウイチになること自体が失敗(そのままだと自殺などが原因でキャリアとしてのショーが続けられなくなる)」であり、その失敗を繰り返させないためにコウイチが蘇ったのだと理解することが出来たのだ。

 

印象的だったのはHigherで「本当の孤独がお前を呼ぶ」で潤んでるヒロミツの目がちょっと開いてる気がした部分だ。
孤独の辛さを感じていたライバルは、コウイチが蘇ったことにより孤独を選ぶことの間違い・自分は孤独ではないことを知り*10、カンパニーと一緒に公演をやることを望む。「どうしてもコウイチとパフォーマンスをしたい」というライバルの願いは、協力の象徴であると同時に、「立ち止まること」の象徴でもある(本来はコウイチのように新しい演目を作らなくてはいけないが“振り返り“、二幕でハッピーエンドにならなかった日本モチーフの演目の“やり直し”をしている)。

そして、揺れ動きつつも最終的に生身の人ではない方のアイコンを選んでしまったコウイチとは違う道を選び、ショーを続けていく、そういう物語だったのだ。
CONTINUEの歌詞である「地上に生きることを選んだ」というのは、ライバルが人であり続けることを選んだことを意味している…のかもしれない。

 

この気づきを得られた博多座公演に感謝!もっとチケット取りやすくして!!帝劇でやって!!!ありがとうEndless SHOCK!!!!!

 

この結論に至ったのは、脚本がほぼ同じショウリが後継者としてのアプローチが強い(もしかしてこれも世代交代の物語…?)となったこととか、ドリボも今はSMGOの弊害というかエマがかつて立ち止まらなかったことによる悲劇みたいな部分が主題になり始めていると認識した影響とかも絶対にあるし、2010年代の知識が無い状態の結論なのでまた履修を重ねたら違う気持ちになるかもしれないし、リョウもトウマもユウマも今回のショウリもヒロミツも映像化されてない年のツバサとヤラとウチとタツヤもまとめて全部映像化されてほしい

*1:ヒロミツだとコウイチの「疲れ」みたいなのが強調されてると考えてこの文章を書いているが、タツヤだとコウイチの「怒り」の方が強かった気がする

*2:ミュージカル合わせとはいえ普段の発声とかなり違くてコウイチに寄せてるように感じたし、ダンスも普段は気迫を足しているようなところをすごく丁寧に踊っている気がした

*3:(他のタレントも根底はちゃんとジャニーさんの血が流れているはずだが)宏光は特に頻繁にジャニーさんの「YOUたち何浸ってるの、僕は次のステージのことを考えているよ」という発言の引用をしている以上、驚く演技は観ている人にとって完全な嘘になるとかその辺も関係しているのかな〜と…

*4:以前は以前で「スター性」「オーラ」みたいな部分を共通項として感じ取れやすかったが

*5:ここまで書いたヒロミツの特徴が、中の人である宏光の得意な表現に依拠しているのと同様の差がオーナーでも発生していたと考えている

*6:赤い階段の上に突き刺さってる刀の視覚イメージも教会のレッドカーペットと十字架のイメージかもしれないと思っている

*7:歴代ライバルの中でもヒロミツは(宏光は)手段を選ばない方な気がするので、その部分でライバル=リチャード三世の対応も強まっていた

*8:SHOCKの直前にドリボを観に行って「これチャンプの自殺に主人公を付き合わせた話では?」なっていたせいで思考が引っ張られた自覚はある

*9:SOLITARYラストの拳銃自殺については個人的にはあんまり関係ないと思っている…何故なら帽子が頭から外れて銃声で終わるパフォーマンスはジャニーズだとずっと昔からあるようなので…(アンダルシアに憧れての類型)(たぶんアラン・ドロン映画とかが根底にあるんだろうなーとは思うんだけど流石に検証が厳しい)

*10:リチャード三世のモチーフが孤独、台詞に誰一人俺を愛していない、俺自身自分に憐れみを感じないみたいな台詞がある