〈eternal観たあと全然印象変わりました。eternalの感想はこのブログのラストにリンク貼っています〉
炎というのは、温度が上がり過ぎるとやがて紫外線となり、見えなくなるという話を聞いたことがある。
開幕前のインタビューで、博多座公演のヒロミツのことを青い炎と評する光一のインタビューを見た。赤よりも温度高く、静かに燃える炎。でも、帝劇で見たヒロミツの炎は可視化すらされていなかった。冷気のように凍えたヒロミツ。でも彼の心に触ったらきっと跡形もなく融けてしまうのだろうと、それだけが分かるような。そんな透明な炎が帝国劇場のステージ上で燃えていた。
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※例によってめちゃくちゃネタバレのめちゃくちゃ主観しかない感想です。過去二編よりも更に主観が強いです。書き終わってから「動物番組で動物に勝手に台詞つけてる人ってこんな気持ちなのかな」って思いました。
2023年5月7日18時の部。Endless SHOCK本編・ヒロミツ初日の公演を観てきた。
博多座のときとは違う解釈でライバルをやるというプランは、各インタビューで少しずつ話されていた。
前回赤髪にした意図が、最近改めて明かされていた中で、流れてくるゲネの様子から今年はどうやら黒髪。きっとそれにも意図がある。博多座と全く違うライバルであること、そこまでは予測出来ていたのだ。
でも、SHOCKのホームとも言える帝国劇場。幕が開いた先にそこにいたのは予想をはるか超える別解釈のヒロミツだった。
博多座のヒロミツがどういうライバルだったのか。何が新しかったのか。それを一言で説明するとするなら、「あまりにコウイチに寄せていたライバル」であったことだと思う。
自分のブログの要約と化して気持ち悪いのだが、背丈も歌もダンスも考え方もよく似ているけれど、わずかにコウイチに届かないライバルが「刀をすり替える」というイベントを通してコウイチのことを知ろうと思ったら悲劇が発生し、紆余曲折あって「コウイチにならなくて良い」と知ったライバルはコウイチの意志を継ぎステージを続けていく物語と個人的には認識していた。
この「ライバルとコウイチが似ている」というアプローチは過去のSHOCKにはあまり無く(コウイチの“若い時”に似ているんだろうなというアプローチはあった)、またコウイチとライバルにアラフォーの風格がある落ち着いた役柄であることも、コウイチとヒロミツの罪が釣り合うように見えたことも新鮮だった。
帝劇ヒロミツについて。未だに咀嚼しきれていない部分がある。出来るだけ話の流れに沿って書くが、恐らく上手く行っていない。
- オープニング~千秋楽のシーン
- リカに対する好意について
- 一幕の違和感
- ジャパネスク前
- ジャパネスクのラスト
- 復活後コウイチとヒロミツの会話までのシーン
- コウイチとヒロミツ
- フィナーレ(CONTINUE)
オープニング~千秋楽のシーン
ゲネから染め直すこともなく、黒髪確定。印象は「貴族のボンボン」だった。やわらかい笑みを浮かべて余裕ぶって踊る姿。溢れる気品。髪型の丸みもあってすこし幼く見える。リカの年齢にも合わせたのかな、とも思った。
直前のショウリは茶髪の兄ちゃんとして、コウイチとある程度兄弟感を出してきているのとは対照的な「コウイチとは全く違う」というライバル像。でも金髪と黒髪の組み合わせはコウイチの中の人が所属するデュオも想起させて、対比としては美しいなと思った。コウイチは(光一は)言うまでもなく王子様なので、別の国の王族交流かな?みたいに沸いていた。
帝劇ヒロミツは感情表現が豊かだった。若さが見えたし、去年のショウリや従来のライバルにも近く、トラブルのことを話すコウイチにも次はシェイクスピアをやろうとするコウイチにもちょっとムッとする。
この時点で博多座と全く違う。博多座ヒロミツはほんの少し荒んだところが透けて、感情表現が薄かったし、コウイチと同じように常に年長者としての余裕のある表情をしていた。王族感も無かった。
だが確かにSHOCKの原点であるハムレットもリチャード三世も主要人物は王族だし、こういう解釈もありだなあ*1、このヒロミツは人懐っこくて幼くてかわいいし、確かにパーフェクトでコウイチと人気を二分できているんだろうなと思う説得力があった。
リカに対する好意について
昨年の博多座ヒロミツがリカに好意を向けていたのは、「カンパニーの二番手同士の共感」か、「リカに釣り合う男になることがコウイチに近づくための手段だから」のどちらかに見えていた。リカの中身はそんなに見ていないんじゃないか、そういう不安があった。
一方で今年の公演。ショウリ公演からもある程度共通しているのだが、去年はコウイチとお似合いのリカだったのに対して、今年のリカにはカンパニーの姫感があった。故に(コウイチでは無く)ショウリがリカと釣り合って見えていたし、ヒロミツ開幕前は去年と同じアプローチ出来ないけどどうするんだろう…と不安に思っていた。
今年のヒロミツ公演におけるリカは、どこか「人望」の象徴にも見えた。ヒロミツはどこにいても一瞬さみしい顔をする。その中でカンパニーのメンバーからリカへの恋路を応援されるとはしゃぎ、リカに対してアピールをする。リカはコウイチへの好意を隠さないし、ヒロミツからの好意もどうやら気づいていてかわす小悪魔だったのだが(片思いハートやってた。びっくりした)、それでもリカを手に入れようとするのは「リカから好かれればカンパニーで唯一自分に足りていない他人からの評価が手に入る」と思っていたからのように見えた。
街でカンパニーの記事を読み、リカが「これもコウイチのおかげね」と言われブチ切れるシーンでも、その苛立ちは「なんで俺には人望が無いんだ」と言い換えられるような怒り方に見えた。さみしいんだろうな、と思った。去年のヒロミツはもう少し「孤独」という言葉が似合っていた。
一幕の違和感
最初におかしいな、と思ったのはONE DAY後の劇場屋上のシーンだった。リカがコウイチといい雰囲気になっていて、指輪を差し出すのを諦めるシーン。そのあとの顔がマジで虚無なのだ。完全な無表情。マツザキの気遣いに対してだけは多少の笑みで対応するが、残念とか悔しいとかそういう顔じゃなくてただ冷え切った顔。この時点では「さみしい」だけで収まると信じていたが、このライバル思ったより心が冷えていないか…?と首を傾げていた。
もう一度もしかして、と思ったのはMOVE ONのシーン。(街でも突然キレてたが)ここでいきなりヒロミツの感情が見える歌い方をする。それまでのショーのパフォーマンスは随分と穏やかだったのに、特に「命かけたこの夢に」以降辺りから何かが剥き出しになっていく。それまでの王族のような振る舞いが嘘だったように弾けて、客席を睨みつけるようなパフォーマンスだった。去年より優しくてさみしくて人恋しそうなヒロミツは嘘だったのかもしれない。大きな劇場でパフォーマンスをしていた六カ月で何かが狂いだしたのかもしれない。
博多座ヒロミツはもっと、ただただ自分の曲を完璧にパフォーマンスするスターでしかなかったはずなのだ。
ジャパネスク前
SOLITARYの出トチリについてはあまりに一瞬だったので顔がちゃんと見えていなかった。観客としての怠慢で申し訳ない。裏で揉めるシーンのヒロミツは、それまで抱いていた「おかしさ」を少しずつ吐露する。激しさも怒りもあって、でも品を失わない範囲で紡ぎ出される台詞だった。ポジションは対等。品は妙にあったが、この辺までは博多座ヒロミツと演技としては大きくは変わらなかった。強いて言うなら去年のコウイチよりも今年のコウイチの方が少しだけ余裕があったと思う。(この辺の解釈は去年のブログ読んで…)
でも「俺抜きでな!」のあのシーン。このライバルのリアクションは「あ、コウイチ抜きでやる気だ」と思うそれだった。糸が切れたように言う「Show must go onかよ」は、「殺す気だ」と思った。屋上のシーンと同じような無表情だった。
戦闘始まりの「殺せ」も殺す気としか思えなかった。
結論で全く同じことをもう一度書くが、今年は表と裏の二人なのだと思った。表が白で、裏が黒の画用紙。同じように彩度を持たない色なのに、白を必要とする人の方が少しだけ多いばかりに「表」とは名付けてもらえなかった、それだけのライバルのように見えた。
ジャパネスクのラスト
二幕で語られる「俺の勝ちだよ」。例年その「勝ち」が意味していたところは、どっちの格が高いかのプライドとか、困らせてやろうという幼稚さの表れとか、トラブルがあってもショーを続けることが正しいのかそれともトラブルなくショーを続けることが正しいのかの信念の戦いとか、そういったものだったと思う。
でも今年のそれは、「インペリアルガーデンシアターのエース」と「カンパニーのメンバーに慕われる座長」という「表」の座を奪うために行なわれた下剋上に見えた。
「コウイチがカンパニーの信頼を失って、自分が代わりにその座に就く」という明確な目的をもって行われた凶行に見えたのだった。「ジャパネスクのハッピーエンド」が本来どういう終わりなのかを知る由は無いが、せめて偽物の刀を渡されたら、恐らくその結末は得られた。それこそ足の一本くらいは犠牲にする覚悟で、ヒロミツは勝負に出ていた。
でもヒロミツは賭けに負けた。コウイチが血だらけになり、階段から落ち、それを上から見てコウイチに手を伸ばそうとしていた*2ヒロミツの慟哭がどんな感情に基づくものかは整理できていない。
ここまでが一幕。そして二幕。
復活後コウイチとヒロミツの会話までのシーン
今年のリチャード三世は圧倒的悪役だった。去年は「ただ離婚してないだけ」で新境地を発揮した宏光の延長線上にあるヒロミツで、その暗さは中の人が持ち合わせる暗さと似ていて大好きだったのだが、今回は「暗い」ではない、光一つ見えない闇だった。
その後のDon‘t Look Backのシーン。これがハムレット三幕三場のシーンと対応していると気が付いたのでちょっとまず語らせてほしい。
ハムレット三幕三場では、兄を殺した国王クローディアスの懺悔がある。以下小田島雄志訳。
国王
おお、この罪の悪臭、天にも達しよう。人類最初の罪、兄弟殺しを犯したこの身、どうしていまさら祈ることができよう。祈りたいと思う心はいくら強くとも、それを上まわる罪の重さに押しつぶされる。同時に二つの仕事をはたさねばならぬもののように、思うばかりでなにごともはたさず、二つとも手をつけぬまま、呆然と立ちつくすのみだ。
この呪われた手が、兄の血にまみれて硬くこわばっていようと、それを洗い清めて雪の白さにする恵みの雨が天にはないのか?(中略)ハムレット
いまならやれるぞ、祈りの最中だ。やるか。やればやつを天国に送りこみ、復讐ははたされる。待て、それでいいか。悪党が父上を殺した、そのお返しに一人息子のこのおれが、その悪党を天国に送る。これではやとわれ仕事だ、復讐にはならぬ。(中略)国王
(立ちあがり)ことばは天を目指すが心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか。
三幕三場がどういうシーンかをざっくり言うと、
①ハムレットが、クローディアスが父を殺したという確信を得るために、事件の状況を劇で再現させ、そのリアクションを見ようとする
②クローディアス動揺する(ハムレット確信)
直後の動揺しているシーンであり、この後の話の流れとしてはクローディアスは真相を知ったハムレットを葬るために動き出す。
一方Don’t Look Backの歌詞。
「汚れた両手で 光探すなら 振り返らずに歩く 輝きを 掴むまでは」である。
雨という要素も、懺悔も、汚れた手という比喩も、それでも歩みを止めない部分も共通しているのだ。
ただ、今までのライバルは正直、全然歩けてなかった。罪悪感でいっぱいで痛々しいライバルだったと思う。去年の博多座ヒロミツも例外では無く、ほんの少しのきっかけで崩れてしまいそうな脆さがあった。
だが、ここからの帝劇ヒロミツは怖かった。勝負に負けたはずなのに欲しかったポジションはキッチリ手に入れている、その事実を受け入れたのかクローディアスと同じように動揺がかなり少ないのだ。
これだけハムレットを引用しておいてなんだが、リチャード三世の「となれば、心を決めたぞ、おれは悪党となって、この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる」の方が心情的に近いかもしれない。
New York Dreamでこそ帽子には当たっているが、もうすぐ閉幕するショーでも笑みを浮かべず、だが客席を強く睨みつける余裕のあるステージ。そして何よりHigherのとき、の顔をしていたのだ。去年はかなり動揺があったのに「憎いあいつが帰ってきた」「ステージから追い出したはずなのに戻ってきた」と言わんばかりの怒りが見えた。
表情も、ずっと髪で左側が隠れていた。心理学的にもなんか根拠があるらしいのだが、「右側は理論的な表情、左側は本音の表情が出る」というものがある。本音を隠して、悪役を演じているのだろうな、と思っていた。
コウイチとヒロミツ
コウイチが本当は死んでいることを知ったヒロミツの動揺は、「自分がずっと見ていた大切なものの喪失」と「自分をずっと見ていた大切なものの喪失」に基づくものだと思った。
今回、コウイチは確かにヒロミツの唯一の理解者だった。前半で書いたようにヒロミツはさみしさと自分を見てくれる人がいない、そのことに基づく深い闇を抱えていたと思うのだが、それに一幕の時点で対応できたのはコウイチだけだった。コウイチも同じさみしさと闇を抱えていて、かつ同じくさみしさを察知できたはずのオーナーはコウイチにしか手を差し伸べられなかった。
その様子に気づいたコウイチはマツザキをヒロミツに付けていたが、その頃にはヒロミツはもうコウイチとコウイチを追うリカしか見えていなかったのではないかと思う。コウイチも同じ状況にある、その一点に気がつかないまま。
ヒロミツはコウイチの死によって、自分が誰よりも嫉妬していたコウイチが自分のことを見ていたことに気がつくし、死んでいるコウイチより生きているヒロミツを選びコウイチにナイフを刺したその行為によって、リカも自分のことを気に掛けていたことに気がつく。*3
そして一番ヒロミツに大きな影響を与えたのは「殻に閉じこもるのはよせ」の台詞だったと思う。
今までのライバルに対するこの言葉は、「罪悪感で目を曇らせずに他のカンパニーのメンバーにも目を向けて心を通わせろ」のニュアンスが大きかったと思う。
でも今回咎めたのは、「(一幕で)良い子を演じて好かれようとしたこと」「(二幕で)悪役を演じて本音をみせなかったこと」の二点に見えたのだ。
ヒロミツは、コウイチとメンバーにショーをやることを懇願する。私は勝手に、このヒロミツはもうステージ上でしか人と会話ができないから、本音を見せられないから、その手段しか選べなかったんだろうな、と思った。
フィナーレ(CONTINUE)
最後のショーのヒロミツは、あまり笑いを浮かべず、歴代のライバルの清々しい顔とは程遠かった。でも余裕ぶった顔もせず、顔の左側もしっかりと見せていた。本編においてはこの少しだけ冷たくて、揺らぎの見えない透明な炎を宿すヒロミツだけが、彼の素だったように思えた。
フィナーレではライバルにだけコウイチが見える瞬間がある。ヒロミツが浮かべていた笑いは「しょうがないなあ」と言わんばかりの、コウイチを同じスターの苦悩を抱えるものとして見るような、分かり合えないまま相棒としてステージに立つ未来もあった筈の人間が浮かべる表情だった。
コウイチの「みんながいたから走ることが出来たんだ」も、例年は「みんなが支えてくれたから自分はカンパニーのリーダーとして走れた」だったはずなのに、「ほかのみんなも一緒に苦労していたね、楽しかったな」というねぎらいのニュアンスを拾ってしまった。
博多座は、「コウイチになりたかった」ヒロミツだったと思う。帝劇は、「コウイチに成り代わりたかった」ヒロミツだった。
去年は少し発想と狂気が足りなかった。鏡写しのライバルは、鏡の向こうに行けなかった。
今年は表が白で、裏が黒の画用紙のような二人だった。同じように彩度を持たない色なのに、白を必要とする人の方が少しだけ多いばかりに「表」とは名付けてもらえなかっただけの黒が、ライバル。
確かに物語上の時系列ではコウイチの方がヒロミツより名声はあったが、名声があったところでさみしさは埋まらないし、コウイチの持つものを到達点にせずもっと上を目指していればいずれは並び立てる可能性があった、それに気がつかなかっただけのライバル。
きれいはきたない。きたないはきれい。
そんな感覚を覚える、帝国劇場のヒロミツだった。
上で書いたこと全部なかったことにしたいなと思いながら書いたeternal感想はこちら