星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

ジャニフェスと5×20映画を見比べて思ったことリスト

宮玉に落ちて一番最初に書いたブログで、私はキスマイに対して「一番好きなグループ(嵐)が休止してしまった後の心の穴を埋めてくれる存在になって欲しい」と述べていた。2022年の今、穴を埋めるどころか私は表舞台に残った四人のことを全く追わず、基本的にはキスマイにだけのめり込み、キスマイにだけ時間を費やしている。そんな現状をもってしても、私は未だに嵐が大好きだ。矛盾しているとは決して思わない。

櫻井翔は、休止前最後の挨拶でこんな言葉を口にしていた。

僕たちはきっと、明日以降も来年以降も、結構会うと思います。ご飯行こうよなんて。でも、個人的には。個人的には。でも、それは、嵐に似たなにかじゃないかなと思います。嵐ではない。嵐のようなもの。なぜなら、僕たちは誰かに喜んでもらえるように、議論をした時に、誰かに楽しんでもらえる準備をしている時、そして、誰かに笑顔を届けることができた時に、初めて、胸を張って「嵐」と言える気がしているからです。

私は、この櫻井翔の定義する「嵐」を愛しているからだ。*1

2021年に発売された二つのライブ円盤は買ったし、観てもいた。けれど今の嵐は嵐に似たなにかでしかないよなあと思って、しばらくメール伝言板からくるメッセージも気にせず、映画の宣伝も何となくしか受け取っていなかった。一度生で観に行ったということもあり、行けるときに行けばいいやと思ってそのまま年を越してしまっていた。

しかし最近松本潤の演出に思いを馳せることが多く、何よりジャニフェスに行けるという僥倖があり、彼のホームでの有観客での手腕を思い出すために映画をもう早く観に行かなければならないと思い、今更ながらも鑑賞してきた。

今回ジャニフェスと連続して見たことによって、いくつか気づきや思ったことがあったので以下それについてバラバラと思いついたところから述べていきたい。

 

・Happinessで思い出すジャニフェス選曲

映画のエンドロールにおいて、流れたのはLove so sweetとHappinessの2曲だった。Love so sweetは休止前ライブ最後に掛けられた松本潤からの一番強い呪い・もしくは願いの曲である。一方でHappinessは休止前ライブで紅白中継中と合わせて2回歌われた曲の一つであり、ジャニフェスでも歌われた曲だ。これだけ多用しているということは、確実にラブソーくらいには意図があると思い始めた。

そしてよく考えたところフラワー(Kinki Kids)・SHAKE(SMAP)・リリック(TOKIO)・夢物語(タッキー&翼)・Happiness(嵐)・愛なんだ(V6)の並びが、すごい怖いことに気が付いた。まずこのSMAPTOKIO→タキツバ→嵐→V6の流れ、音楽活動を休止した順番なのだ。

そしてJ-POPの歌詞なんて大体そんなものではあるのだが、気持ち悪いくらいに全体曲の全てで、歌詞の中に「明日」が入っている。(愛のかたまり「明日の朝も愛し合うよね」フラワー「辛いばっかりで明日が見えないと」SHAKE「明日は休みだ仕事もない」リリック「一つ一つ想いはきっと未来(あす)を描くから」「明日も君に会えると願う」夢物語「誰も語らない明日歌え」Happiness「明日を迎えに行こう」愛なんだ「あきらめない明日の太陽」smile「明日の今頃は陽気な歌でも歌っていようよ」)それこそラブソーには「明日」という歌詞は入っていない。愛かたとフラワー、あとweeeekはともかくとして、音楽活動してないグループの「明日」は一体何なのか。それこそが彼が休止前アルバムに絶対に入れたかった“The Music Never Ends“というメッセージなんだろうけど…オチはあんまり無いんだけど気づいて怖かったんだとだけ伝えさせて…だってこんなの出演グループに対する「辞めるな」もしくは「辞めても何かを残せ」的な強すぎるメッセージじゃん…

 

・曲の繋ぎ

映画を観ていて凄まじいなと感じたのは、曲の繋ぎに一切ストレスが無かったことだ。本当にいつの間にか次の曲に移っていく。特に音の編集、ライトの消し方灯し方が美しく、大好きな曲が終わってしまったとしてもそれに気が付づくのに遅れるし気づいた時には次の曲に夢中になってしまうという有様だった。いうなれば静の使い方が多く、上手い。

ジャニフェスは基本的には次の曲が持つ属性(歌う人間・曲のチョイス・ステージ場所)の意外性・インパクトによって次の曲への意識誘導が行われていた。この手法はどちらかというと年末年始帝劇舞台ジャニアイなどでジャニー喜多川によって行われていたものに近い。コース料理でなくても好物が次々に出てきたらそれは嬉しいというやつである。今回の人数の多さ的に応用が利くのはこの手法であるものの、比較的彼の手癖とは異なる手法をよくなんとか使いきったな…というように改めて感じた。かつてのジャニアイで出来ていた以上は全然出来るんだろうけど。

 

・格の考慮

ジャニフェスでは、Kinki Kidsという他グループと明確に事務所序列のようなものが違うグループを立てていた。この出番数だとか流れだとかは、キンキのファンもそれ以外のファンも恐らくほぼ納得できるようになっていて、私は感激しきりだったし「松本潤この難易度バカ高いパズル良く完成させたな?!」の思いは半分くらいキンキの扱いによって作られた。

映画を観ていて思ったのは、この演出家もともと「格」みたいなものを把握し活かすのが異常に上手だったんだな…ということだった。まずは曲について。人気曲を把握しているのもそうだけど、「何が嵐にとってターニングポイントだったか」をセトリの要素として組んでいる気がしてならない。特に松本潤主題歌オーケストラメドレーと大野智メインダンスメドレーのtruthの使い方が分かりやすかった。また歌詞の使い方としても、恐らく「常に前年のライブを超えるものを作らなければならない」という前提の下で、5×20で「100年先も愛を誓う」One Loveをオーケストラの一番良い場所に使ったあとに、アラフェスでは「一万年の愛を叫ぼう」なMonsterをオーケストラの一番いい場所に使っている。それを考えると「シンデレラガール」と「君の彼氏になりたい。」の使い方は松本潤特有のもの(シンデレラガールのインパクトを差し置いても、君の彼氏になりたいは12時を過ぎて2時になれるから順番を逆にすることは出来ない)なのかなと考えた。

「人間の属性」についても5×20を見るとめちゃくちゃ考えられているというか、これが実は本来の松本潤の特技なのかもしれないなと思った。現場で一番客の声が漏れてしまっていたのは「シンデレラガール」頭の平野紫耀向井康二のツーショットだったと感じたのだが、その悲鳴には人気グループ・人気曲であることよりもKinKan二人の組み合わせだったことがより大きく影響したのではないかという気がしている。他も要所要所コラボやツーショで「そう来るか?!」と思うことが大変多く、今配信を観ている人間の中で評判が良いのはその加減が絶妙さ故なんだと思う。

先に書いたことと若干被るが5×20で「あー上手すぎる…」と思ったのは、各個人メインパートの構成だ。5×20ではソロ曲が無いものの、各個人が明らかにメインとなっている曲がある。その中で、3.11後披露した文脈を感じさせる花を咲かせる演出のもとソロパートを長く聴かせる二宮メインの果てない空、逆に歌わないものの嵐の飛躍を長らく支えたお坊ちゃん要素を見せる櫻井ピアノメインの青空ペダル、指揮者としてのパフォーマンスをした後に歌われるOne Love(ライブの指揮をしていることは勿論、松本潤Love Rainbowの振り付けでも指揮者っぽい振りが入っているし、番組の企画でがっつり指揮者をやっている)、そして2008年以降最も頻度高く主演ドラマ・映画の主題歌を持ってきた大野の圧倒的なソロダンスが組まれるダンス多めの曲群、と本人の歴史と特技とがかみ合わせ全体のボルテージも上げていっていた。(ちなみに5×10はただ主題歌シングル曲をソロでやるという構成だったので進化しているなと思える辺りもすごい)

※これだけ本来公平性に重きを置く松本潤(ただし稀に気心知れた人には甘える(ジャニフェス「ええじゃないか」の時の雑なスクリーン映像は計算ゼロではないけど仲のいい関ジャニへの甘えだと思ってる))だが、いざ比較をするとセトリ6曲目の相葉メイン曲が映像は凝っていたとはいえ若干目立つボリュームが少な目には見えてしまうのは、(個人メイン曲の中では)最初であることが価値として上乗せされているからなのではないかと個人的には踏んでいる

これだけ繊細に人間と曲の要素を毎回噛み合わせている松本潤なので、私のような片手に収まる程度の数しかFCに入っていないジャニオタでも元ネタが分かるような歴史や関係性をライブで見せることは、嵐のライブを作るよりは簡単だったのかもしれない。それでも絶対地獄を見たとは思うけど…

 

・音量

映画を観ながら、突然「ジャニフェスは音量が低かったな」ということを思い出した。ドーム公演は1階スタンドで見ることが多く、一方でジャニフェスは久しぶりの2階・いわゆる天井席というやつだったので純粋には比べられないが、ライブ特有の強い音を感じなかった。察するに今までは歓声にかき消されないように大きな音にしていたのがその必要性が無くなったせいなんじゃないかと思う。*2正直なところ、非日常を求めて現場に行く身としてはもう少し大きくてもよかった気もする。また嵐の歌声が認識するよりもパワフルだったという説もなんとなく感じた。ジャニフェス序盤、WESTになった途端音量が大きくなった気がすると当日の感想でも書いたが、今のグループはダンスやソロパートに比重を置いているせいでユニゾンの音量が弱いグループが比較的多く、調整が間に合わなかったんじゃないかという気がほんの少ししている。

(追記:色々書いたけど天井席どころか東京ドームのライブに入ること自体かなり久しぶりだったので事務所に限らず他団体の公演と比べないと全然わからないなとあとで気付かされ…スタッフの問題というよりは施設自体の問題(変化)だった可能性が…)

 

松本潤の手癖

①説明

5×20においてはあまり当てはまらないものの、他の団体のライブと比較した場合、嵐のライブは比較的説明のようなものが多く存在している気がする。Japonismは露骨に歌舞伎の口上をやっているし、私の大好きなアラフェスも準備時間の確保として使う映像で曲の振り返りをさせたり次の順位予想をさせる。平たく言えば「次にこんな感じの曲が来るけどそれはこういう意図だよ」と先に映像ないしは口頭での説明が一定頻度である。(コンセプチュアルなライブだと他団体でもそういうことをやっている印象がある)

ジャニフェスにおいては、「次はなにわ男子」とプロデューサーの大倉くんから説明があった。ここまで出さず勿体ぶった理由を説明している。Kinkiも25周年だという解説映像がある。(というかこの解説映像の作りは映画を見たらドン引くほど嵐と一緒で笑った、「松本潤ぽいな~!」とジャニフェス見ながら思っていたもののここまで全く同じだという記憶はなかった)

このように説明がある理由は嵐のライブが基本的に新規やライト層が見ても楽しめるよう徹底的に意識して作られていることと、松本潤の演出の源泉に歌舞伎やミュージカルなどのライブ以外のショービジネスがあることが大きな理由になっているのだと思う。

かつて松本潤がゲストで演出を行ったジャニアイのレポを見てもそのようなことは伺えるし、このように意図を分かりやすくすることによってストレスを減らしていることも今回ジャニフェスを良くは知らないグループが多くても(他グループ新規と言い換えてみたい)多くの人が楽しめた理由なのだろうと思った。

②演出

これは純粋に準備時間が短かった影響もあるのだろうが、嵐のライブ内で成功したモデルを躊躇なくジャニフェスに利用しているところは人を楽しませるための手段を選ばない姿勢が見えていて良かったと思う。Kinkiの映像もそうだし、ムビステ交差もそうだし、今他を思い出せないが(フリフラは後述する)絶対に他にもある。あとKAT-TUNが特に露骨だったのだが、各グループのライブで良かった演出もDVD見漁ったりした上たぶんそのまま持ってきている。キスマイが水モチーフなのもHOME準拠だろうしKAT-TUNは炎のタイミングまで一緒な気がした。

それから視界の邪魔になる塔が無いのが(嵐ならいつもとはいえ)助かった。これは全団体導入してくれ…頼む…(私信)

 

・フリフラについて

映画を観て拍車がかかった邪推に、フリフラは「松本潤が他の4人により綺麗な景色を見せたい」あるいは「松本潤自身がより綺麗な景色を見たい」のどちらかから手を出した発想なんじゃないかというものがある。映画はライブDVDと比較して多い台数のカメラを使って撮影されていて、かなりステージ上から客席を映すアングルも多い(予告編でも使われている)のだが…ぶっちゃけジャニフェスで天井席から見たフリフラの景色より映画を通してステージ上から見たフリフラの景色の方が100倍くらい綺麗なんですよね!!!!!!!勿論同じ天井席からの景色を比較した場合フリフラかフリフラじゃないかで満足度は違うし、一番端っこでも楽しめるようにという意図はかなりあるんだろうけど、客が3倍くらいの変化なのに対して演者は20倍くらいモチベーション違うんじゃないかなって…。

そしてもしこの邪推が正しければ、私は絶対的なフリフラ信者となる。ライブは演者たちの満足が第一に優先されるべきであると考えているからだ。

配信ライブが頻繁に行われた2020-2021年にかけて、一番気にしたのは演者側の表情や満足だった。よく映像や声を募集されて、「いや私は他の客の顔とか見たくないんだけど」と思いつつ、それを許容したのはそれがあるだけで演者側が安心したり画面のこちら側を想定してライブをしやすくなっているように見えたからだった。私は配信に限らず演者側がモチベーション高くライブが出来ることが結果的に質の高いパフォーマンスに繋がると思っている。(もしそのために取った手段が許せなかったり、手段が許せても結局満足できる水準まで届かなかったら「この宗教は合わない」と思って距離を置くことが健全だと思う)

また、フリフラはすごく説明的な手段なんだなとも思った。色の点滅で「盛り上がって聞いて欲しい曲」「そっとノって欲しい曲」「フリフラなんて気にせずに夢中になって欲しい曲」「休んでていい時間」なのかが大体わかる。この仕様を「親切で分かりやすい」と受け止めるのか「言われなくても分かるしこっちの好きなように楽しませてくれ」となるかによって客の考え方は変わるんだろうなとも思った。私はこんなブログ書くくらいアイドルの意図を考えるのが好きなので、意図は分かりやすければ分かりやすいほど良い。

ちなみに、ジャニフェスのフリフラは嵐ライブのフリフラよりも相性が悪かったな…とは個人的に思っている。嵐のライブだとライト真っ暗になっている曲はせいぜい一番や間奏だけとかだったのに対して、ジャニフェスの方は明らかに時間が長く、なんか寂しい時間が発生した。理由としては①若手グループがアーティスト志向気味(フリフラ以降の嵐が徹底的にアイドルだったのは時期的な部分もあるので若手は悪くない)②フェスなので知ってて盛り上がる曲ばかりで夢中で聴いててもストレスが無い曲が殆ど無い(自動的に盛り上がりたくなってしまう)辺りがあると思う。Kinkiの時に客席が赤と青に染まるとか、フリフラがあって盛り上がるパートも多かった分この辺はもし次回あったとしたらフリフラを残した上で改善を図ってきそうだとは思うんですけどね…そういえば赤と青をキンキまで温存するためにエビキスは緑と黄色だったんだろうなガムっぽさを出すという理由だけじゃなく…

 

 

ほか・嵐の影を求めて違うグループに落ちていく現象

嵐ファンの贔屓目かもしれないが、今ジャニーズのファンをやっている人間のうちの半分くらいは一度嵐を通っていると思う。沼落ちブログでも書いたし、度々Twitterでも呟いている通り自分は明確に嵐の影響でキスマイに落ちている。ジャニフェスで初めてキスマイを生で目の当たりにして最も印象に残ったのは衝撃的なまでの7人揃った陰キャ・人見知り具合だったのだが、キスマイを知って一週間時点でも「このグループやけに内向きでは…?」と察知していた慧眼に自分で自分を褒めたい。映画を見て改めて感じたのは5人の内向性、みたいなところであり、私は結局嵐のそんな5人で世界が閉じているところに惹かれていたのだなと再認識した。いや、休止前の二宮和也の挨拶に以下のようにある時点でそんなことは分かりきっていたはずなんですけど…。

やっぱり、僕の言葉っていうのは、この21年間中で、発してきた言葉っていうのは、全て4人に向けた言葉だったし、全てこの4人が生んでくれた言葉だと思っているので。

それでいて結局、嵐が嵐に似た何かになったことによって余った労力を他に回したファンはいくらでもいるはずで、例えばSnowManに落ちていったファンの一部は嵐にあったわちゃわちゃ感を拾ったのかもしれないし、キンプリに落ちていったファンの一部は華と役割分担の雰囲気を拾ったのかもしれないし、時々「これ担降り先指定されてない?」みたいな絡みが他グループとも発生する。私は今回嵐を見ながらキスマイの好きなところに思いを馳せてしまったが、他のグループのファンも似たようなことを感じたり、ジャニフェスで自分の担当グループに対して嵐への懐かしさを感じた人もいたんだろうな、と思った。

*1:実のところ一番好きなグループはキスマイに変わった。これは純粋にメンバーのこと全員を愛してしまった時に、キスマイの方が2人だけ多いせいと自分では思っている。崖に突き落としてきた各グループそれぞれ一人の特別の大きさは測れないが、きっかけではない人間に向ける好意にはたぶんどうしても上限があって、なんだか結果的に1.4倍くらい好きになってしまった気がするなあと…

*2:流石に剛への配慮の為だけに音を小さくしたとは考えられないので