星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

2023年6月21日&7月1日の記録

6/21

北山さんがキスマイから卒業するまであと71日。当初の予想とは異なり、何だかとっても元気な自分がいた。もう私にあまり不安はない。不安な気持ちを保ちたかったが、それほどまでに6/14の北山ソロキスラジの影響は大きかった。北山さんは、「人生が長いから」辞める選択をしたのだと言った。

そのことが嬉しかった。私も少し忘れていたのだが、確かに私も人生が長いから、と思って、ここで終わるのが嫌だなと思って、選択をしていた。そして人生が長いのならば、彼らがまた巡り会う日もきっと来るのだろうと信じられた。未来に希望を残してくれることは嬉しい。

大好きだなと思った。続ける選択をした6人のことも、辞める選択をした1人のことも。そもそもなぜ私は一時期7人全員の個人担と名乗っていたのか、そしてなぜ箱推しとはあまり言いたくなかったのか、その理由を思い出した。

仮に7人全員がそれぞれ違う事務所に行ったとしても応援し続けられる、「キスマイ」という箱がなくても一人一人のことをきっと好きで居続けられるだろうと思ったからだった。勿論実際にそのようなことが起こったら、金銭や労力的な問題で優先順位が発生してしまうだろうし、キスマイという箱がない状態でタカシが表舞台にいてくれるとは思わないとか、わたたいが隣り合わない状態でそれぞれがアイドルをしてくれるとは思わないとか、そういった現実的な問題は置いといて。

ずっとキスマイだ、と言ってくれたのも嬉しかった。あの日のキスログでタカシが書いたように、ずっとメンバーなのだろう。活動する場所が違ったとしても、彼の魂の履歴書みたいなところに、Kis-My-Ft2という経歴は一番大きく書かれてくれている。
そして、ラジオの語り口があまりに明るかったせいで、「これに悲しい気持ちで向き合ったってどうしようもないな!」とも思えた。それでももし仮に出会える機会があったらとりあえず一発殴りたいという気持ちは消えていないが。

みんな好き勝手に憶測を並べるから、私も憶測を並べたいと思う。「責任を果たして欲しい」と発表当初は思っていたけれど、北山さんはきっと、自分から渡せるものは全部6人に渡しきってしまったんだろうなと思った。自分よりもっと向いている人を見つけて。MCも、演出も。正直その分何も責任のない・何も引き継ぐ必要のない自由な北山さんがキスマイという箱の中で見せるものが見たかった気持ちもある。6人側から北山さんに渡したかったものはいっぱいあっただろうな、というそんな気持ちもある。

北山さんは、キスマイのことを「部活仲間」だと言った。今回、その言葉が意味するところを初めて理解できてしまった。
部活というのは、いずれ引退するものだった。高学年になったら、後輩に何かを引き継ぎ、引退してしまうものだ。もちろん何年でも留年して欲しかったけれど。
今回「脱退」ではなく「卒業」という言葉を使っているのは、そういう意味合いもあったからなのだろうと思った。
でもさ〜!!!OB的なポジションで自由にやる北山さんを見たかったよ!!!ばーーーか!!!

でもとにかく、なるべくしてなった結末だなと改めて思った。一年くらいはずらせたかもしれない。もっとすごい景色を見せてからの終わりに変えることはできたかもしれない。けれどいずれはくる未来だった。

 

また1万字の話をしてしまうけど、北山さんがかつて就職とキスマイの二択の際に辞めなかったのは、(本人の意思とか負けず嫌いも大きかっただろうけど)二階堂さんや千賀さん、年少の二人の未来を考えたからと明言していた。だから、本当に変な話、色々きっかけはあるにしても、年下たちがずっとどうしようもなかったら期限は伸びたのだと思う。でもどうしようもなる気配がない人間だったらここまで愛着を持っていてくれなかったんだろうな、やっぱりどうしようもないじゃん。

 

数年前から考えていたと言った。私が出会った時には、きっともう考え始めていた。 その決断に数年かかる感覚は私もなんとなくわかる気がする。いつからか他の選択肢よりもそれが輝いて見えるようになって、考える時間を重ねるごとに誰でもない自分が選ぶ道はそれしかないと思い、 最終的にそれを選ぶために今までの日々があったんだと思ってしまうような。

私はこの決断をしたことと、それを語ることの明るさを知っているなと思った。だからメンバーは諦めざるを得なかったんだろう。発表時点で薄々分かってはいたけれど。あの語り口で説明されるとそれは確信に至った。

 

北山さんは自分の抜けたキスマイが、自分のせいで無くなってしまったとしても後悔はしないんだろうなとは思う。それでも続いて欲しいと願ってるんだろうな、とも思った。いくら他人の願いを自分のものに出来ない人だとしても、"罪悪感"とか"愛着"とかは人よりも強い人だと思っている。

自分が居なくなった先でも残るものと信じて色々なものを託したはずだ。

6人がキスマイを続けるのは北山さんを応援するため、罪悪感を負わせないためでもあるんだろうな、ととても勝手なことを思った。以前北山さんは一人っ子であることについて「個で死んでいく感覚がある」みたいなことを語っていた。何も証拠はないけれど、6人はその根源的に一人ぼっちであるという感覚を放っておけなかった筈だ。決まってしまった道の中で、それでも唯一彼のエールとなる選択肢が選ばれるのは必然だっただろう。

 

何だか内向きな彼らが好きだった。なるべくゆっくり歩こうと歌う2人が好きで、グループのファンにもなった。北山さんは周りと足並み合わせて、そんなもんかよと言った。まあ無理だっただろうな〜!!

キスマイのリボンの歌詞が大好きだけど大嫌いだった。ありふれたくらいがちょうどいい。その気持ちが北山さんと一緒だったら嬉しいな、とキモい女子小学生みたいなことをふと思った。

 

7人が好きだ。7人である時に出会えてよかった。きっとこれからも素晴らしいのだろう。1人と6人が、お互いに刺激をし合って続いていくんだと思う。友達ってきっとそういうことのはずだ。

グレゴリーとサミーの関係を思い出す。私は所詮三年前からのファンなので、Kis-My-FtからKis-My-Ft2への変遷とかよくわからないし、ヒ□ムが何をどれくらい考えてたかなんて知らないけど、このグループ名が好きだ。命名の元ネタとなっている映像、そこにあるのは道を切り開くものへの敬愛だから。表現者同士の尊敬だから。グレゴリーとサミーは別々に戦ってきた二人でもある。だからこの別れは、正しい形に戻るということでもあるのかもしれない。

どさくさで関係のないことを書く。 ヒ□厶はキスマイというグループを長く愛してくれていたか?と考えると結構微妙だなと思うこともあったんだけど、かなり大昔からタップダンスのパフォーマンスを好んでいることから、少なくとも結成時点では好きだったことが伺えるなと思っている。

ヒ□厶がサミーデイビスジュニアのことが大好きだったとは確信を持って言える。何故ならヒ□厶が生前執念を燃やしていた舞台の一つであるドリボは彼の主演ミュージカルが元になっていると考えられるからだ。キスマイがこの舞台に長く出演していたのは、同じくサミーデイビスジュニアにルーツを持つものだったからだろうと私は信じてやまない。

 

話を戻す。私は人数変遷があるグループを追っていたこともあったが、過去の私は特定の固定人数の時代しか本気で応援していなかったなとふと思った。意識的か無意識なのか分からないが、しばらく変わらないだろうなと思うタイミングで好きになり、人数が変わる前後のタイミングで心が離れていた。今回、私は絶対に6人のことを見届けたいと思っている。今まで体験したことのない時間を感じられるのはきっと悪くない。

 

私は北山さんのおかげで色々自分の環境を滅茶苦茶にしてしまったが、同時にその環境を変えるタイミングでエネルギーを使い果たしたせいで長らく動けてなかったことを自覚していた。 でも今回のことで、私は新しくエネルギーをもらっている気がする。選択をした彼らを見ている限り、私も選択をしないといけない。Sengaismで書かれていたプロセスがもたらすエネルギーみたいな話をもう一度読み返した。改めてすごい北千だった。全部渡してしまったことを改めて悲しく思った。

 

早く七人ラジオが聴きたい。怖すぎる。ありがとう文化放送、何を考えてるんだ文化放送

 

7/1

毎日考え方が変わっていく。七人ラジオを聴いて、六人の覚悟が思ったより具不退転のそれで打ちのめされたり、「ともに」の重さに頭を抱えたり、ハッピーバースデーで楽になったりで、多少調子に波があった。七人全員を追い続ける覚悟だけは変わらなかった。たった10日で色々あったな…。

最新のTV Guide Alphaを読んだ。誠実で、言語化が上手で、とても賢い人の文章だったのでちょっと嫉妬した。私は北山さんがキスマイを捨てた、と思っていたけれど何かが違うことはわかった。
何かというか、私は今回の37歳の選択を、16歳の時の彼の選択と全く変わらないものだと思っていたのかもしれない。でも彼は歳を取っていくごとに大切なものを増やして強くなっている。私が解釈した北山さんは裸の時代のテキストが元になっている。つまり16歳から27歳の頃が基準になっている。だから予想出来ていないことがあったのだと思う。未来とか希望とかが持つ強さのことを、私はたぶんまだ、よくわかっていない。

今までは歳を取るのが怖かったけど、早く追いつきたいなと思った。大した差もないし、今の北山さんと同じ年齢になったところで成長をやめない彼に追いつけることはないけれど。

 

テレ東音楽祭で披露された「ともに」。初めて明かされたフォーメーションとCメロ。 恐ろしいほどにキスマイがキスマイのことだけを見て歌っている歌だった。私はキスマイのことを円を描いて内側を向いてるグループだな…と思って好きになったことを思い出した。最近少しそのことを忘れていた。ただただ「残る6人のため」と「旅立つ1人のため」に作られた歌。ファンはそのお裾分けを受けてるに過ぎない。

…まあ、手段と目的が入れ替わっているんじゃないかと思う部分もある。ファンのためとかもう言わないほうがいいと思った、この曲に関しては。これを作る割り切りぶりへの恐怖心とエモでは定期的に前者が勝つ。

でも好きになって良かった。これを好きになるために私は生きてきたんだなと思った。アイドルにはファンのことなんて何も気にせず自分とメンバーのことだけを考えていて欲しかった。Kis-My-Ft2はわたしにとって一番の理想のアイドルだ。

沼落ちブログを読み返すと当時大好きだった嵐について「ファンよりも、グループが、自分自身が、他の四人が大事なんだろうなと思うのだけど、それが自分にとって一番安心できるグループ」と書いていた。このときに「自分自身が」というワードを含めてしまっていた自分に少しだけ笑ってしまった。

きっと世の多くの人間は自分でない誰かを一番のモチベーションとして行動するし、誰かによって行動を左右させていくこと、それは素晴らしいのだと思うけれど。二番にすることでより素晴らしいものを生み出せる人がいたっていいはずだ。

 

少し前のたいぴーすふるで、「全ての人々の悩みの原因は、対人関係」「なるほど。と腑に落ちた」と藤ヶ谷さんは語った。私は全く腑に落ちなかった。

TV Guide Alphaは一言一句、全て腑に落ちた。

インタビューに対するファンのリアクションが少し流れてきて、自分は初めて自分の考え方が少数派であることを認識した。北山さんは、自分が世界において少数派だという自覚はあるのだろうか。自覚があるのなら、それによる障害にどう向き合ってきたんだろうか。

 

ふと読み返した水中撮影回のインタビューは、彼の本質のように見えた。挑戦に対するフラットな狂気が垣間見えるような言葉たち。

「俺、思考が動かなくなったら死んでるも同然なの(笑)。」

手に入れた財産で動きが鈍くなっていく中で、誰かのせいにしたいという欲を断ち切るには、全部手放すのが一番良かったのだろうと、そんな文学的な表現が浮かんだ。

過去を肯定するために選ばなきゃいけない選択肢がある。思考による死は、ジャニーズとしての自分の死よりも重かったのだろう。

 

今一番つらいのは、6人が吹っ切れたような顔をしている瞬間が見えるときかもしれない。ずっと未練タラタラでいて欲しい。私を置いていかないでほしい。

Cメロは鮮やかなまでの再会の約束だった。七人とも、誠実すぎるほど誠実な人たちだ。元気で長生きさえすれば、未来があることを知っている。それでも動けなくなる日はこれからも来る。

 

もうたったの二ヶ月しかないことに心が冷えていく。私の夏はあなたたちと共にある、ともにいさせてほしい。ファンに確かに愛を返してくれている、わたしてくれているTHE MUSIC DAYの北山さんを見ながら、そんなことを強く強く願った。

 

あとツイッター早く復活してほしい。頼むよイーロン。