星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

応援するJr.への思いとTo Yoursの話

性懲りもなくJr.の話をする。

今のジャニーズで好きな人間を二人だけ挙げろ、と言われたら玉森と自担の名前を答える。好きの種類は全く異なる。玉森さんに抱いている感情は”恋”が最も近いのに対し、自担に対しての恋感情は全くと言っていいほどに無い。自担は気がついたら目を離せなくなっていた相手に過ぎないし、急激な感情を抱いたことは無い。彼の行動に対して暴れ散らかしたことも暴れ散らかしたツイートをしたこともなく、彼を追ってしまっている年月を差し置いても、純粋に向けている「好き」の総量は恐らく玉森に向けているものの方が大きい。けれど、玉森さんと自担が同画面に映ったとき、私は自担しか目に入らなくなってしまう自信がある。玉森さんが何らかの要因に妨げられジャニーズアイドルを健やかに出来なくなっても自担のことは応援し続けられると思うが、その逆はたぶん出来ない。そういう"トクベツ"にある。

このブログやツイッターでは「自担」としか書けず、彼の名前を書いたことはない。それは、この乱文と性癖と自語りを書き散らす自分が、恋愛感情を向けれている訳でない自分が、掛け持ちをしている自分が、彼以外のJrの担当をまともにしたことがなくオタクをすることに不慣れな自分が、彼のファンとして相応しく無いと感じている部分があるからだ。(分かる人には完全に分かる書き方はしてきてしまっている。ただ同担に観測されたくは無いなとだけ思っている。)

 

自担は、言ってしまえばそんなに人気のあるJr.ではない。歴も長いので知名度はそこそこあるとは思うが、ここ数年のJr大賞にはどの部門にもランクインしていない。大昔はしていたような気もするが、その頃の私はまだ目を離せた頃であったし、記憶も曖昧だ。彼は(自分の目には両方完璧に持ち合わせているように見えるが)客観的にみればバレーデビュー組のような王道アイドルらしさにも、アイドルらしからぬカッコよさにもカテゴライズされない場所にある。嫌いなひとはいないと思うけれど、たぶん知るひとはみんな四捨五入したら10番目くらいには好きなんじゃないかと信じているけれど、みんなの一番にはなっている訳ではない、そんなアイドルだ。そしてそんなアイドルを私は、私自身に欺瞞を抱え単独一位と言えないながらも、きっと、自分にとっての一番に思っている。(もちろんネットを見れば彼を一番に思っている人は沢山いることは確認できるのだが、今回は都合上その沢山をまるっと少数派として括った乱暴なブログとなる)

 

先日、彼のいる現場に本当に久しぶりに行った。その時からずっと「To Yours」のことを改めて考えている。それだけの纏まらない思考の備忘録。上記はそのためだけの前置きだ。

 

To Yoursは、キスマイからキスマイのファンに向けた歌だ。 

いつも近くで見てくれてありがとう。僕に何が返せるだろう。想いを届けたい。その想いが君の笑顔の一つになればいいな。これからもそばにいてね。

この歌を歌うキスマイに対しては「一つどころじゃねえわ!」「これまでで十分だよそれ以上頑張らなくていいからね!」「離れろと言われても離れません!」みたいな感情を抱く。キスマイのファンとしてはそんな感情を抱く。しかしJr.担としての自分は、この歌を、私から自担に向けた思いに寄せてしまう。

 

この歌は、アイドルからファンに向けた普遍的な歌にはなり得ても、ファンからデビュー組に向けた歌にはならない。ファンの一人から夢いっぱいの贈り物は届けられないし、ファンの一人はアイドルの笑顔の理由の一つになることは難しいし、ファンはアイドルの手を引くことは出来ないからだ。

けれど、デビュー組でも、人気ユニットにもいるわけではない、自担に向ける思いにはなり得てしまう。

 

久しぶりに現場に行ったその日、現場で彼に手を振ると、彼は私を指さしてとびきりの笑顔を向けてきた。なんならその瞬間は私一人に向けられたファンサであった。多幸感で死にそうになったし、それからの現場の記憶はない。帰り道、ずっと考えていた。私は彼に何を返せるんだ?

思いは分散されれば無かったことと同じにできると思う。一人から何十万人に向けた思いは受け取れこそすれ、何十万人の一人である自分は返すことに責任を持ちたいとはそんなに思わない。返せないし、何なら他の誰かがやってくれるだろうとも思ってしまう。けれどその瞬間多く見積もっても何百人の一人であった自分は、その向けられた愛の重みに、「どうしよう」と思ってしまった。全くもってなかったことに出来ない。この彼からの思いを分かち合える人は限られている。これだけ多くの感情を与えられて、自分に返せる手段なんてあるのだろうか。彼は私にこれだけ多くのものを与えたことを自覚しているのだろうか。どうやったら彼に報いることが出来るのだろうか。

これまでも彼にはファンレターで想いを伝えてきた。彼は、ファンレターを自分の宝物だと言う。力になると言う。ファンレターを、ファンと彼を繋ぐ大事なものだと言う。(返信も定期的に送ってくる。)  彼に送りたいメッセージをまとめながら考えていたのは、これが本当に彼の原動力のひとつになればいいなと思う気持ちだ。

ファンレターは、呪いなんだろうとずっと思っていた。ツイッターの「がんばれ」という不特定多数が摂取できる情報と異なり、一人のメッセージが(検閲を除けば)たった一人の自担だけに届いてしまう。そして、自分は、或いは恐らく他の多くのファンも、そこに「これからもずっと応援します」といった旨の文章を書いてしまっている。それに秘める思いは、「こっちは応援するからお前は勝手にやめるなよ」というメッセージだ。いつまでも離さないという思いだ。

そして彼は最近、ステージのためだけに、ファンと過ごす時間のためだけに、これからの年月を費やすという旨の発言をした。個を認識できるファンたちが、彼のその発言を作っている。彼はそういう人間だ。他にも選択肢があったはずの彼は、責任を取ることも出来ないファンのために、これからショービジネスの世界にきっと骨を埋める。

わたしの彼に向けるこの思いは呪いではないと信じられる日はいつか来るのだろうか。可能性に満ちた未来はあるのか。私は"いつまでも"この思いを保てるのだろうか。彼に何を返せるのか。

 

貴方に手を振る私をいつも見つけてくれてありがとう。私に何が返せるだろう。想いを届けたい。その想いが君の笑顔の一つになればいいな。これからもそばにいてね。

 

To Yoursは呪いではなく、祝福の歌だ。だから何となく、自分の想いが重なるこの歌を心に置くと気持ちが変わるような気はしている。先の話をする自担の目はまっすぐで、ステージ上の彼は本当に楽しそうにしていた。この思いは呪いじゃなくて、ただの後押しで在れるのだろうか。つまづいたときのよすがになるのだろうか。分からないけれど、分からないながらに過去の貴方と、今の貴方と、先の貴方に、幸いがありますようにと祈って、これからまたファンレターを書く。