星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

星が降る夜のこと

 

一カ月半前、私は予想もしていなかったアイドルに落ちた。それから私の頭の中にはずっと、星が降り続けている。

 

好きな人を見つけると頭に星が飛ぶ。自覚したのは、一カ月半よりももう少し前のことだった。ジャニーズでは無いけれど、顔の良い男が歌って踊るコンテンツ。何気なく検索で目にしたそれを観たときに、星が飛んだ。古典的漫画のウインクの時に出るような星が、頭の中を通ったのだ。今までの人生で好きな人を作ったことは何度もあるし、似たような感覚は今までもあった。けれど、「星」だと言語化出来たのはその時が初めてだった。私は一週間ほどそのコンテンツのことを調べ続けたけれど、星が飛んだものに類似する映像は有限で、今後作られる可能性は極めて少ないということを知って、その熱は一週間ほどで落ち着いてしまった。

 

一カ月半前、宮玉という二人に転がり落ちた。その経緯は既に詳細に記しているので省くが、私はその転がり落ちるまでの過程でずっと頭のなかで星が舞っていたことを覚えている。そしてそれは今も変わらない。星は、スターだ。アイドルたる彼らは正しくスター*1であったし、その二人が見せる情報は私の視界を、頭をチカチカとさせた。彼らの熱は私の心と脳をボロボロに燃やした。スターの語源は、もともと「燃えるもの」から来ているらしい。彼らは正しく、私にとっての星だった。

 

二人の歌には、何度も何度も天文にかかわるワードが登場する。

BE LOVEでは『夜明けには朝陽が消してしまう』

星に願いをでは、タイトルの通りなのであげていけばキリが無いが、『流れ星が最後に光るような眩しいその笑顔を振りまいて 星になってしまったね』『夜空を眺めて』『夜空に浮かんで』『曇り空の夜だって』『雨の降る夜だって』『幾億の星屑に望みを込めて』

運命では『返事のない空』そして『満月の夜』。

いつも彼らは夜を生きていて、私はその世界の星の瞬きを感じていた。

 

玉森担と化してから、それまで全く興味も印象も無かった玉森さんの情報を急速に得るようになった。途中、唯一本人の作詞であるOnly One…のソロ曲の歌詞を見た。ソロ曲を聴いた。

『あの日水面に星は降っていて 青い月が綺麗で』『街の灯りが 夜空に溶けて』

その曲は、宮玉三部作の延長線上にあるように感じられた。(前日譚、といった方が正確なのかもしれないが)

宮玉三部作において、どうやら玉森さんの関与の方が大きいというのは周知の事実だ。だから、玉森さんは夜空が好きで、それが歌詞に反映されているのだろうなと思った。

それから少し前のキスラジで、玉森さんが

「夜景好き」「リフレッシュしなきゃマジでヤバいって思ったとき仕事終わりに行った」「夜景って言うよりか星見に行きたいと思って、で結局そこで夜景も綺麗だったっていう話」(横尾「玉さん星好きだもんね」)「都会に疲れた感が出たときに何回か行った」

と話していたので、自分の解釈は間違っていなかったと思った。

まいにちたまもりゆうたでも、宮田さんがBE LOVE4話の血だらけの顔の写真を上げていた日(前後1日くらいあったかもしれない)に、屋上らしき場所からの景色の写真を上げていた。最近も空を見てますか、空が綺麗で感動した、空には何かあると思う、という旨の話を書いていた。

11月19日深夜放送のキスブサでは、怖い夢を見て眠れなくなったマイコに対する対応として、部屋に星空を投影して落ち着かせる、という手段をとっていた。玉森さんは、落ち着かなくなった夜に、星が必要だと思っているのだと思った。

キスブサの頃には玉森さんの持つ雰囲気と星があまりにリンクするだとか、私の玉森さんへの印象が星であることと一致して嬉しくなることだとか、星に思い入れを持つようになって感情を共有出来ているように思えて嬉しいとか、宮玉を思い出させるとか、本当はもっともっとある色々な気持ちがまぜこぜになって、玉森さんが星の話をする度に転げまわって嬉しくて涙が出るようになっていた。

 

以前沼落ちブログに書いたように、担当に対しては「なりたい」という思いが付随する。宮玉を好きになってから私には色んな変化が起こるようになっていて、寄せようとしたことは他にも幾つかあるのだが、そのうち玉森さんの要素を少しでも内面化させる手段として、或いは宮玉三部作に狂わされた人間のケジメとして、星を見にいこう、と思い立った。

 

前置きが大変長くなりましたが、この記事はポエムを交えたただの日記です。

 

 

場所は、海の近くがいいと思った。Only One…はたぶん湖を舞台とした歌だが、dTVの方のBE LOVEの舞台が海だった。BE LOVE出のファンとしては、どちらかというと純粋な三部作の方が優先される。それから、海に向かうことの方が湖に向かうことより簡単だった。Googleマップを眺めて、比較的夜の灯りが少なさそうな町に向かうことにした。

 

その日のその町の空は薄曇りだった。目を凝らせば月明りも見えるし、時折り雲間から星空は見えたものの、あまり星空をゆっくり眺めるには適さないように思えた。そのため、夜明け前にリベンジしようと決めた。実際そのあとには少し雨が降っていたようで、結局その選択は間違っていなかった。

 

BE LOVEは真夏に撮られた作品だが、BE LOVEの最終回が放映されてしばらく経ったいまは冬至が近づき、日の出はそんなに早くない。今の季節でよかった、と思いながら朝四時に起床し海岸へ向かった。外は真っ暗で、確かに星は瞬いていた。まだ少し曇っていて満点の星空とは言い難いが、ひと眠りする前の空と比べると雲はある程度引いている。オリオン座が、そして名も知らぬ沢山の小さな星たちが見えた。

 

海岸は真っ暗だった。近くの駐車場には何台か車が止まっていたが、女身一人で光の届きづらい場所にいる怖さは拭えない。

砂浜にまで足を伸ばすか悩んで、その境目に当たるような場所で、うろうろしていた。広い空を時折見上げながら。オリオン座よりも少し左の空を見たときに、流れ星が見えた。その瞬間、私は泣いた。思いがけなかったことに号泣した。出来過ぎている。

 

自分はある時から、心が動いた時に簡単に涙を流すようになった。それまでは悲しい、とか悔しい、とかでばかり泣いていたのに、それに加えて、言語化出来ないプラスの感情が溢れたときにも涙を流すようになった。(だから、ツイッターで「泣いた」と言ってるのはそんなに誇張表現ばかりでなく本当に8割方泣いている)

思い返せば、最後に行った嵐のコンサートでもわたしは開幕30分、ずっと涙を流し続けていた。あのとき涙を流し続けていた理由は自分でもよく分からないけれど、その時に少し似ていた。よく分からないプラスの感情が溢れる。

 

流れ星を初めて見たのは、結構最近だった。確か流星の絆が放映されてから数年以内のことだったから、大体十年前なのだと思う。(最近か??)

それまでは、流れ星の存在を信じていなかった。流れ星が実在していることは受け入れていたが、流れ星は観ることが出来ないものだと思っていた。より正確に言うと、「あっ流れ星だ!」というフィクションの言説を、フィクションでしか存在しないものだと思っていた。そんなに星が流れてたまるか、と。

だが、あるとき星空が良く見える旅行先に行った日と流星群を見ることの出来る日が一致し、しかも空が晴れ渡っていたことから、星空を眺めることになっていた。その辺の開けたところに、特に何を敷くでも無く、寝っ転がり星空を見上げる。全然流れるなんて思っていなかった。しかし、確かに一筋の光が短く、空を通った。最初は見間違いかと思ったが、周りにいる人たちが嬉しそうな声を上げた。あの一瞬の見間違いみたいな光が音に聞く流れ星なのか。しばらくするともう一度星が流れた。見間違いではなかった。なかったのだ。これが初めて見る流れ星。「三回願いを唱える」なんてことを言った先人に「こんな一瞬で言えるわけねえだろバーカ!!!」という気持ちは抱いたが、感動していた。流星の絆みたいな世界は本当にあったんだ。私は流れ星を見たことのある人間になったのだ、と。

その夜、星を見上げていたのは二時間にも満たなかったと思う。少し肌寒かったし、途中から星の流れる頻度は下がった。下がったと言っても、見逃したりしたこともあって合わせて五個くらいしか見れてはいなかったが、心は満たされていた。これは特別に星空がよく見える街に流星群が流れる日に居たことによる奇跡のような幸運だった、と。

 

流星を見たのは、その日以来だった。流れ星が存在すると知った日から、流れてくる知識は正しいものだと知った。流れ星は流星群の日でなくともみることが出来る。けれど、それが今日だと思ってはいなかった。私は都会に住んでいる。今まで星を見ることを目的に遠出することもなければ、空を見上げることもなかった。流星群に遭った日だってそんなに沢山見られたわけじゃなかったのに、再会するのが今日なのか。涙の理由はいつだって自分には分からないが、後付けするならばこうなる。嘘はそんなに、混ざっていない。そしてただ、嬉しかった。

 

しばらくして、まだ真っ暗といえども時間は有限だし、境目でうろうろしていてもつまらないと思ったので、砂浜に出ることに決めた。足を何かに取られないように、スマホのライトを頼りに、全く光のない砂浜を歩き始めた。海の音は少しずつ近づく。よく見えない状態で聞く波の音は飲み込まれそうで怖かった。そして恐らくここで悲鳴を上げても、波の音にかき消されて誰にも届かない。けれど、波の音は暫くすると慣れて怖くなくなった。むしろ少し、落ち着く。飽きもせず、首が痛くなるのも厭わず空を見上げていた。視界を遮るものは何もない。薄い雲が少しずつ流れて、星空の面積が広がっていくのが分かった。

それから、この空ならば私の知らない星座を探せるのではないかと思った。ずっとよく見えているオリオン座の周囲の星座を検索する。近くにはふたご座があるという。スマホを傾けて空と比べると、確かにそれぞれ対応する星が見えた。星座早見表が使えるものだと分かっていなかった。でも私は、ふたご座を初めて肉眼で見ることが出来た。

 

雲がすこしづつ晴れて、オリオン座とは反対の空には北斗七星が見えた。ステージと同じだ。

嵐は「五色の虹」を歌う。他のグループも多くは何らかの綺麗な名詞を持つ。キスマイは、ここでも星だったのだと気づく。To-y2の青く輝くステージは本当に綺麗だった。七つの恒星、あるいは銀河。

瞬間、流れ星がまっすぐ上から下へと北斗七星を横切って落ちた。

あまりにも、あまりにも出来過ぎていて再び泣いた。これを書いている今、改めてあれは夢だったんじゃないかと思う。でも、その日一回目に見たより長い流れ星が確かに、七星の近くに降ったという記憶があるのだ。そんな奇跡は存在した。アイドルがアイドルで居続けてくれる奇跡が起こるのなら、それ以下はいくらだってあるのだろう。

 

 

見渡す限りに空が広がっていた。ほんの少し、空のふちが水色になっているように見えた。

プラネタリウムみたいだな、と思った。

 

私はもともとそこまで、星に興味がある子供では無かった。生まれも育ちも都会。それなりにビルに囲まれた街で生まれ育ち、今もそこまで変わらない環境にいる。空を見上げて見える星は、夏の大三角形くらいだった。月は好きだったけれど、空はあまり意識しないで長いこと生活していた。ただ、あることだけを知っていた。智恵子抄。東京には空は無いのだ。

その中で、唯一星に触れる機会はプラネタリウムだった。時々家族に連れられて行くそれは、「わたしの知らない世界」として楽しんでいた。歳を取って、それこそデートなんかでもよくプラネタリウムに行きたがっていたような気がする。わざわざ一人で通うほどの熱もなかったけれど、星が動き、星座を描き、そして最後は日の出と共に終わるその時間は、大好きだった。

 

星は、気がつくと少しずつ場所を変えていた。見える星の数は、遠くプラネタリウムには及ばない。人里離れた場所にいるわけではないので天の川が見える、みたいなこともない。綺麗だけど、確かに星座にならないだろう星は沢山見えるけれど、普段東京から見える星空とどう違うか、よくわからなかった。東京の星空を意識して見上げたことが無かったから。

ただ、プラネタリウムというフィクションと、東京の星という現実の狭間に、星座早見表と重ねられるこの空があることだけはわかった。だから、この今を過ぎたあと、私は東京の空にプラネタリウムを重ねられるのかもしれない、と少しだけ思った。

 

北斗七星の近くにはおおぐま座がある。正確に言うと、北斗七星自体がおおぐま座の一部らしい。(それまで私はそのことを知らなかった。本当に星に詳しくないので、他にも色々と間違いがあるかもしれない)おおぐま座はどうやら21個の星で構成されている。ふたご座を見つけたときのように、星を繋いでいこうと思った。しかし、おおぐまの首にあたる星*2を肉眼で見つけることが出来なかった。けれど、わたしには見えなくてもその星は確かにあるのだと、理解することが出来た。あると信じると、そこに瞬いていると感じられる。一度認識したうえでその存在を信じなければ、星は見えない。

 

さすがに首も足も少し疲れ、砂浜に寝転がって服を砂まみれにする勇気はなく、コンクリートのある場所まで戻った。寝っ転がって星を見ると、ゆっくり動いていく光があった。人工衛星、なのだろうか。UFOと言われても信じてしまうかもしれない。そのあとも、違う光が空を横切っていった。今度は少し早い。飛行機だろうか。あのドラマの二人も、空を眺めながらそんなことを話していたらいいのに、と思った。私が今、誰かとあれがなんだったのか話してみたいと思うから。

そういえばあの景色とは違い、空に月は浮かんでいなかった。少し調べて、月のない夜があるのだと知った。もしかしたら知っている知識だったのかもしれないが、忘れていた。ひと眠りする前には満月では無い月が浮かんでいたので忘れていた。星を見るには、月の有無はきっと大事なのだろうから、次からは調べよう。月の出、月の入り。

 

風に飛ばされたのか雲は殆ど無くなっていたが、その代わりに少し星が見えづらくなっていた。さっきよりも空のふちが水色になっている。地面は体温を奪っていて、初めて肌寒さを感じた。近くには自動販売機があったので、そこでコーンスープを買った。戻ってくると、北斗七星はさっきよりも明らかに薄れ、あれだけ真っ暗だった砂浜が少しみえるようになっていた。

そのとき、朝陽が星を消すのだ、と感じた。気づいてしまった。朝陽が消す気配は、星の気配。

 

コーンスープを飲みながら、ああ自分かっこつけてるなあ、でもそんな今の時間が楽しいなあ、と考えていた。駐車場に止まっていた車からは少しずつ人が出て、公衆トイレの方に向かっていく。朝がはじまりはじめていた。調べた日の出時刻の、一時間くらい前だったと思う。

 

まだオリオン座は見える。それまでに起こったことを忘れないように、メモを取り始めた。少しぼーっとしながらも取り終わって、空を見ると夏の大三角形と明けの明星しか見えなくなっていた。夜の始まりからさっきまでずっとあったオリオン座は、いつの間にか見えなくなっていた。

 

空が、赤い。

夏の大三角の左上、プロキオンと、その右にある何か良く分からない星と、明けの明星だけが残っていた。あんなに黒くて暗くて何があるのかわからなかった海岸は、広くて白くて綺麗だった。Daybreak、Dawn、普段使わない英単語を思い出す。でも夜明けまではまだかなり時間がある。あの吸血鬼どもはどれだけ長い時間なまごろしとなっていたのだろう。

 

BE LOVEのキービジュアルの撮影では、「夕暮れのマジックタイムを狙って撮影した」とあった。その情報を見たとき、この物語はBE LOVEの歌詞に合わせて本来は朝陽が出る直前の写真であるべきだ、なぜ明け方ではないのか、と疑問に思っていた。ふと気が付いた。一つ目は、宮玉三部作は夜の話だから、夜が始まる前の撮影で構わないということ。二つ目は、ロケ地である富津では朝陽は陸側から差し込んでしまうということ。海から光がささないと、あれほどまでの美しさは出せなかった。

 

駐車場の車から、サザンの曲が流れてきた。海で海の曲を聴くのはなかなかオツなものであり、ムードはある。しかしながら自分の宮玉に染まる頭にしてみるとぶち壊し感があったので、再度砂浜の方に行くことにした。

足元には二種類の足跡が残っている。行きと帰りの私の足跡。あの二人が並んだ足跡を残しているのだとしたら、そこで途切れた人の痕跡をどう人は捉えるのか。私は宮玉のことを二人以外はどうでもよい二人、あとは野となれ山となれタイプと認識しているので、残された人のことを考え物悲しくなった。毎回こじつけて考えてしまう自分も嫌になるが、メモの通り辿って書いているだけだから許してほしい。

 

日の出三十分前になると、星はたった一つ、金星しか見えなくなっていた。ここで突然、スマホでは写真が撮れることを思い出す。もっと早くから過程を撮っておけばよかったな、と思ったものの、その分景色は心に焼き付いている。それはそれとして、明るくなった空と金星は写真に収めた。

明るい海の音はさっきよりもずっと優しい。海岸には、犬を連れて散歩する人たちが現れていた。これはただの朝だ。

 

私は金星を見続けていた。日が昇るであろう水平線の先には、少しだけ雲が残っている。だから、海から出る瞬間の朝陽は見られないだろう。ずっとずっと、見ていた。目を逸らしたらすぐになくなってしまいそうな星の瞬きだった。瞬きすら厭いながら、散歩中の飼い主の視線を感じながら。でも、扇状に光が散らばる朝陽に目を向けた直後、金星は見えなくなっていた。日の出の二分前のことだった。

 

 

オレンジ色の光が、海の向こう、雲の向こうから見えた。眩しかった。直接見ると目を焼かれる光。とりあえず写真を撮る。沢山撮る。それでも飽き足らず、肉眼で見ようとし続けていたら、目を焼かれて緑の残像ばかりになってしまった。二人はもう消えた。あれだけ綺麗だった星も、見ようと思った星も、空にはもう見えない。太陽に背を向けて、海岸の散歩を始めた。

私は太陽の光は好きでは無いけれど。朝の光はどこか心地よかった。この世界を歩く人たちがいる。空はまた夜明け特有の水色と赤が残っていた。

 

段々と、夜ずっと詩的なことを考え続けていた自分と連続性が無くなっていた。そのあとのメモは残っていない。きらきらと海が輝いて、これはこれで美しい世界だ、と思ったことだけを覚えている。

だからこの日記はここで終わりだ。尻つぼみになってしまうけれど。

 

 

また、星を観に行くと思う。観に行けなくても、これからはもっと、空を見上げると思う。

そこに星と空はある。あると信じる限り、星は降り続ける。

 

 

 

智恵子抄 (作:高村光太郎

 

智恵子は東京に空が無いという

ほんとの空が見たいという

私は驚いて空を見る

桜若葉の間に在るのは

切っても切れない

むかしなじみの綺麗な空だ

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ

智恵子は遠くを見ながら言う

阿多多羅山の山の上に

毎日出ている青い空が

智恵子のほんとの空だという

あどけない空の話である。

 

*1:芸能人を指して言うスターの語源は、直接的に輝いているからではなく、俳優の控室の目印に★マークを使っていたからだというが

*2:あとで調べたが、ρと呼ばれているらしい