北山さんのソロは、ラジオやdTVで言ってる以上明らかに「バンクシーのネズミ」がメインテーマなのですが、サブテーマは『蛹』のリメイクじゃないか?と思った話です。
こんばんは、北山さんのことを考え続けて4日が経った玉森担です。
一つ前のエントリは今日に至るまで100回くらい更新したのですが『蛹』の話だけどんどん長くなってしまったので別記事にしました。
「大発見じゃん!!!」と思いながら書いているのですがそれ普通に一般常識だよ、はしゃいでるの貴方だけだよ、という話だったらそっと教えてください…考察ってこういうのが難しいね…。
彼が見せたかったものの順番は、バンクシーのネズミ>『蛹』>その他ディティールと思った。バンクシーのネズミの考察は他の人に任せるにしても、それに次いであまりに『蛹』が踏まえられすぎている。そう思った根拠は以下の5点。
順を追って説明していきたい。
①エレキギター
部屋で暴れながら振り下ろすギター。ギターは北山さんの得意楽器であるものの、基本アコギを持っていることの方が多く、ざっと見た限りでは美男ですね舞台・キスブサコント・そして『蛹』くらいでしかエレキギターを持っていない。
②赤・黄・青・緑の四色
白を除いたペンキはこの四色。Mintコンのソロ演出では、映像にこの四色が使われている。北山さんが一人歌いながらギターをステージの中心でかき鳴らす中、ギター(赤)、ベース(青)、キーボード(黄)、ドラム(緑)の楽器を弾いている人間のピクトグラムのような映像が音に合わせて流れる。
③初の音源化ソロ曲と、初の個人MV(10周年)*1
これだけ微妙に説明が難しいが、彼的には原点回帰の良いタイミングなのではないかとは思う。そして双方、燃えている歌だ。裸の時代の文だけ引用しておく。
(インタビュアー:10年後、この本を読み返す自分の姿、イメージできる?
「”今の方が熱いぜ!”って思っていたいですね。これからどんどん大人になって、わかってくることも、経験値も増えていく。でも、今の熱量だけは変えたくない。10年後は、静かに燃えていたいっていうか。今の燃え方、しゃかりきすぎて効率悪すぎるから(笑)」
④潤君に送り付けたという情報
松潤にも送りつけたとのJ-web談だが、「Reborn」は嵐及び嵐ファンにとってはほぼ俗に言う楽曲のリメイクを指す。海外での遭遇など含めて交流はある上に、コンサート演出を行う者としての共通点など接点はあるものの、わざわざその報告をしたのはひとつのヒントではないか、とこじつけた。
⑤Rebornがテーマ
今回の曲は「Reborn」というテーマで作ってもらった、と説明していた。日本語訳は「生まれ変わる」「生まれ変わった」。『蛹』の歌詞にも”生まれ変われ”とある。
先にもう少し『蛹』について深めたい。四色のバンドに加えて、この曲の最後には北山さんに(映像上で)燃えた羽が生える、という演出がある。通常、蛹から生まれるのは昆虫である。ただこの曲において”この殻破って”生まれたのは、蝶ではなく鳥だった。
それが意味するところは何か。不死鳥でしかない。
不死鳥はその一生を終えると燃えて灰となり、その中から新しい命を得てよみがえると言われている。この時点で「灰」なのはともかく、私は「蛹」からイメージされる虫とは結びつけることが出来ていなかった。しかし調べると、(割とあっさり)違う話が出てくる。
聖クレメンス(誰…?)曰く。フェニックスは死期が近づくと、香料を集めて自分の棺を作り、その中に閉じこもって死を迎え、その死体に湧いた虫が死体を食べつくし、やがて虫に羽毛が生えて新たなフェニックスになるのだという。つまり「蛹」≒不死鳥の象徴なのだ。*2
「灰になる前に」の歌詞は、既にYoutubeの字幕で見れるようになっている。
不死鳥と関連のある曲として見ると、以下の歌詞を拾うことが出来る。
”捨てれない命” ”灰” "reborn in the end(最期)" "reburn" 「捨てれない命」は不死。「灰」はそのまま不死鳥の一番メジャーなイメージ。「Reborn in the end」は上記、死期が近づくと自ら生まれ変わる準備をする生態。"reburn"は何度でもその炎から生まれるメジャーなイメージ。
更にこじつけの連想を始めれば、”くだらない世界であがく you&me”やパールのネックレスはどことなく手塚治虫の火の鳥っぽい。
歌詞の表記は「灰」だが「High」と掛けてるとしか思えないサビ前は「”限界”に届いていると満足する前に」の意味がこもっているような気がする。
歌詞の中で"enemy"とあるのは、鼠の天敵の一つが蛇で、蛇の天敵の一つが鳥であることから、狩られる側から狩る側に回るような感覚を狙ってきたような気もしてくる。鼠の天敵の一つ自体猛禽類であるが自分の身に”enemy”と書いていたことへの納得もある。
画面内少しずつ映る壺やケースや複数種に渡るペンキの入れ物は、没薬や香料を保存するためのものなのかという気がしてくる。
そして、不死鳥でなくても昆虫の通常の生態として、蛹の中ではドロドロのクリーム状でありながらからだの様々な部分をすごい勢いで同時に作ったり壊したりしているという。それはそのまま、ペンキでぐちゃぐちゃになった彼を連想させる。
本などを読んで、「この人なんだかんだいつも似たようなこと書いてるな」と思うことはある。けれど今回の「灰になる前に」は作家性では済ませることの出来ない一致を意図的に狙ってきたような気がする。私は一つの連なったストーリーとしてあのMVを認識することは出来ないが、この考察が少しでも彼の狙ったところに届いていればいいな、と思う限りだ。