星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

山本試験紙「ピクトグラム」観劇記録

※主観の話です。
※以前ふせったーなどに書いた感想と内容が被る部分が多くあります。
※上手くまとめられなかったのでほぼ箇条書きの7000字です。

 


タイトルについて

「こころ」

中山の「心情」に触れている作品だからこのタイトルであると考えつつも、
夏目漱石の「こころ」も踏まえているのかもしれないと思った。先生は過去に友人を死に追いやっていた点、Kが先生に「近頃は熟睡ができるのか」と問い掛けてた点、そして「人を信じられない」「人を信じたい」の話である点。医師も「先生」という肩書を負える職業だし。

「幻影的情熱」

熱に浮かされている様子そのままを表したタイトルとも思いつつも、吉本隆明の「共同幻想論」も踏まえてるのかな、なんて…。
読んでも内容咀嚼しきれてないのだけど、当時の共産主義が(そして「幻影的情熱」の登場人物が)掲げる平等な理想郷はマルクス主義の傾向が強いのに対して、それを「幻想」と説くカウンター的な論説かなと…全然違ったらすみません…
それでいて鳴門のモデルであると思われる方、つまり山岳ベースで作られていた「幻想」から距離を置くことに成功した方がこの本を踏まえて当時のことを振り返っていたので…*1
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%B9%BB%E6%83%B3%E8%AB%96
また、庄子が暴力的総括を受けたあとに流れる曲はThe Velvet Undergroundの「Ride Into The Sun」なんだけど、この「Sun」はたぶん幻影とか理想郷とかそういう意味で使われてる言葉なんだろうな、と思う。
あとこの曲が発表された年は1969年頃なので、年代もほぼ一致してるんだよな…
長いのでこの歌詞は以下リンクに突っ込んでます。和訳がネットに全然無かったので勘で意訳してます。
https://fse.tw/VgxCapMB#all
「Who's living there」とか天使たちの「ここはだれ?わたしはどこ?」の台詞っぽいし…

ピクトグラム

「引き返せ」って分かりやすく書いてあるのにそれにすぐに対応できない人たちの話ってことなのかなと思っている。
また、この矢印の通りの軌道で鳴門がドアを開けてることに気がついたときちょっとゾクゾクした。たった一人舞台中央の扉を通れた人。場転の都合とも思うけど、植村が鳴門が開けてそのままにしていたドアを閉めてるの皮肉だな〜と思った。

 

各回の感想-現場で2ステして、配信で観てみて-

私は横尾渉さんのファンなので、基本的には横尾渉の演技の変化しか観てないのだけど、生の演技を見る面白さを今までで一番感じた公演だった。

配信で見た演技は、終盤中山と鳴門の人格が混ざり合ってるもので、彼らの人間らしさがよく出ていて、少し憔悴した鳴門と滑稽で愛おしい中山だったけれど、
5/6に最後に自分の目で焼き付けた公演は、鳴門の可愛らしさと中山の冷たさと孤独とが綺麗に切り離されていたもので、最も賢い選択肢を選べた鳴門と哀しくて辛くて哀れな中山だったのだ。

5/3(夜)

5/3に観たときは、鳴門はしっかりとした判断力を持ったかわいい男で中山は迂闊さと子供らしさの残る激情家って感じだった。配信よりも二人の人格は分離されていたけど中山の演技は6/5に観たそれの方が暗くてずっと好みだった。

5/6(昼)

5/6に観たときは、私はその日の中山のことを「嫌なエリート全開」「怒鳴るシーンとかがふざけんなってくらい全然違ってすごい良かった」「感情に表現が追いついていて一つ一つの叫びが胸にガンガンに響いてヤバかった」「以前一部浮いていた台詞が浮いてなかった、本心からの叫びになってた」など書いていた。
今でもその突然の変化を忘れられないし、これほどまでに同じ公演を複数回見る意義を感じたのは初めてだった*2。あの日の横尾さんの印象は、配信を二周した今でも薄れていない。
ただ仮に最終日の公演が収録されていたとしても、目の前で繰り広げられる演技の呼吸を拾ってボロボロ涙流しながら集中して見て感情が流れ込んでくるような錯覚覚えて呼吸浅くなって酸欠になってエグい頭痛に襲われてスタオベがふらつくなんてことは無かったとも思う。
この作品を劇場で生で観ることができて本当に良かった。

配信

配信も見ることが出来てよかった。記憶の定着以外でも真ん中で区切られた構図は映像で初めて認識できたし(センターブロック引けなかった)作り手の強調したい場所を認識できるのでとても助かった。
特に配信を見なければ深海の「マスコミに出た情報を軽い気持ちでみんな信じる」から始まるパートは印象に残すことができなかったかもしれない。映像アングルが分かりやすくカメラ目線のようになっていて、作り手たちの怒りのようなものを感じ取れて、すごく良かった。スマホの画面を客席に向ける天使たちの台詞がある以上、作る側と消費者側の第四の壁は意識されてるものと思うので…

 

鳴門♡♡♡♡♡♡

現時点で今年一番大好きな男になってしまった。

最初赤ヘル被って出てくるパートでは結構象徴的に銃を持ち、角材も持ち、スクラムも組み、無表情で総括をし、暴力主義みたいな顔してたのに、
突然ニコニコ自己紹介してるのヤバすぎた、初見で悲鳴を上げかけ台本読んで悲鳴を上げ二回目の観劇でも悲鳴を上げかけ配信で二周とも叫んだ。

回を追うごとに料理の手付きがプロの中華料理屋みたいになっていく鳴門、ヨモギが苦手な鳴門、女子二人と楽しく話す鳴門、指導部を前にしてソツがない鳴門、総括に積極的に参加する鳴門、拠点の下見を指示されるタイミングで初めて動揺を見せる鳴門、両親のために生きたいと告げる鳴門、一人だけ抜け出せた賢い男…全ての要素が刺さって大好きだった。賢しらに色々感想書き連ねてるけど、もし他人に「ピクトグラムどうだった?」って聞かれたら口を開いてまず「鳴門が好き♡♡♡」って答えてたと思う。

中山は冷たい傲慢なエリートのくせに小心であるのが見えるところとか注射器を首に当ててるシーンとか、嘘をついてしまうところとか、最後何かが抜け落ちてしまってる表情とか大好きです。

 

横尾さんの演技について-横尾さんの演技が大好き-

これだけ鳴門に狂ったのは私が愛する横尾さんのアイドル性を予想しない形で浴びれたからだと思う。

これだけ中山が愛しくて仕方がないのは、横尾さんの冷たい顔立ちと彼の人間らしさを初めて目に見える形で認識できたからなのだと思う。

 

先日のWOWOWのインタビューで、宮田さんが横尾さんのことを「人間の本質と可愛らしさ両方を持ち合わせてる」みたいなこと言ってた記憶があるんだけど、そうやってイメージする彼の属性が200%乗っていた2つの役が、大好きで大好きで仕方が無い。

ただ、これは別にファンの贔屓だけではないと信じている。

私は好きな人目当てで観に行った演劇では役から本人の要素を拾い愛でることも観劇の目的の一つとしてしまうけど、今回生で見た彼の演技は、アイドルへの愛をもってアイドルの先に役を見たんじゃなくて、役の先に微かにアイドルが見えただけだったな…と思っただけなので。上手く説明できてる気がしないけど…

 

スーツがよく似合う恵まれた骨格も、インテリ感や繊細さが透けて見える顔立ちも、人を惹きつける容姿も、細かい感情の機微がよく乗っている表情も、強い感情が乗った叫び声も、美しいフォーメーション変化の足取りも、横尾さんは舞台の演技がすごく魅力的でこれからもステージ上でずっと演技する姿を見ていたいも思った。

役者は多かれ少なかれ、演じた役を取り込んで生きていくものだと思うので、このピクトグラムを経た横尾さんが今後どんな変化をしてしまうのか、そしてこれからどんな役を演じてくれるのか、楽しみにしていたい。とにかくまた横尾さんの演技を見たいです。

 

シャッフルという構成の劇

https://fusetter.com/tw/feX0g0F2#all

このふせったーでも少し言及しているけれど、それぞれの人間の関係性が重なりながらも全く別の人間を演じている劇は純粋に面白かった。

私は横尾さんのファンなのでどうしても
村田↔中山と林↔鳴門の関係性のリンクに注目してしまうけれど(元ネタ的に林が鳴門のことを高く評価している可能性が高いというのはちょっと衝撃だった)、それ以外も村田↔安崎の関係性面白いな…とか女性の立場は少し逆転してるのだな…とか思いつつもすぐに頭を切り替えて付いて行ける2時間は何度見てもあっという間だった。

配信で改めて見ると、アフタートークで言っていた役の切り替えスイッチである「手を組む位置」とか以外でも

村田は緩急のある話し方をするのに林は基本バカ早口で、両方頭がキレてるのに差が出ててすごいなとか(林のモデルの方もカリスマ的指導力で立て板に水のように話してる印象を各媒体で受けた)、

安崎は低めで凄みのある話し方をするのに神岡はバカ大声で、両方男性性の強い怖さがあるのにその質が全く違うなとか、

橋口は武闘派で長田は姐さんって感じで、同じように圧のある怖さがあるのに全然頭の出来が違う感じが出てるなとか(そこまで意図的では無いかもしれないけど、オウム真理教のそれは大衆性があるそれに対して連合赤軍のそれはエリート集団が陥った袋小路…みたいな比較をした論説を見かけた気がするので、その差がよく出てるなと思った)

台詞が共通するシーンがあるのに揺らぎ続けている植村と、真っ直ぐに信教が揺らがない深海の対比の美しさとか(色々重なる構造はあるけれど、ピクトグラムはどうしても「中山↔鳴門」と「中山↔植村」の二つの構造に重きを置いてる作品だと思う)

役が一つずつしかない二人も、
マッドでその時代の喋り方をして考えてることが見えない怖い宮川から気まぐれな動きを沢山する傍観者になる様子(注射器首に突きつけられたあと場面変わって首さすってるとこすごい好きだった)、

長田とは別の方向性で一番その時の熱狂に飲まれている庄子から無邪気にニコニコして客の心情を撫でてくる様子(ド主観だけどマジで私の内心と同じ顔してた)、全部印象に残っている。

 

「こころ」と「幻影的情熱」の壁と、舞台側と客席側の壁が時々見える瞬間があって、伝えたいこととの構造とマッチしてるのだろうな…と思える時間が楽しかった。

 

ところで「幻影的情熱」側で走って拳を振り上げて何かを叩きつけるようなシーンが結構あったけど、あれは「彼らが生きている現実」と「空想の理想郷(共産主義だとか、高度な精神と肉体の結合が実現されている世界)」を隔てる壁や扉を叩く行為の象徴みたいなとこなのかな…その幻想側に踏み込めている林は全く叩いてなかった気がするのよね…

 

大好きなシーン箇条書き

Wink踊るとこ(踊る横尾さん)

・寝れない中山(後述)

・中山と橋口が入信の経緯を話してるときや二人が真ん中で顔つき合わせて言い争ってるシーン。上手と下手に綺麗に分かれてるとこ(見てて本当に気持ちいい、配置が半々になってるシーンは他も全部好き)

・村田がお腹見せてるところと安崎がビニール袋で殴るところ(緩急の付け方が地獄)

・宮川と深海の狂信者二人が話してるとこ(嫌いな人いる??)

・注射器突きつけるとこ(必死な表情大好き)

・橋口が無駄に中山叩いてるとこ(アフタートークで初めて認識したけど本当に理不尽な橋口がかわいい)

・最後

 

・何のために生きているのか?のキラキラ女子三人(最悪な伏線なので)

・後ろでバリケード築いてる人たちと拾ったビラをバッて渡す鳴門(嫌いな人いる??)

・炊事場全部♡♡♡

・被指導部が走ってぐるぐるするとこ(人の愚かさが出てて最悪なので)

・革命歌(序盤のそれ以外いつも構造がグロすぎて)

・鳴門がドアを開けるところ

・最後

 

感想-アイドルファンがこの物語を観てしまった感想-

キスマイが大好きな私は正しくアイドルのことを「偶像」だと、そして神様だと思っている。ファンの語源は「狂信的な信奉者」である以上、アイドルファンはアイドルのことを何も疑わない「信者」で有るべきだと思っている。

私は私が愛している事務所のアイドルには一番に「気合」を、精神力を求めている。何があってもショーは続けなければならない、どんなトラブルがあっても、どんな怪我をしても、その結果死ぬとしても。

私は「こころ」における実行犯側の人間だ。

何もなかった世界で、私はキスマイに出会って初めて自分が生きてきた意味を理解できた。キスマイのために色々な関係性と生活を整理した。世界の見え方は全部変わった。この三年、何を考えるにしても基準はキスマイにある*3。キスマイは私達に何を求めているのか。キスマイのメンバーだったらこういうときどんな選択肢を選ぶか。

中山は橋口に対して「私はね、寝れないんだよ、ずっと」と答えた。

私は、去年の今頃から今年の2月までずっとよく眠れていなかった。キスマイを好きになる前もまたあんまり眠れてなかった。信じるものがなかった私が真理を一つ手に入れて落ち着いて、でも北山さんの卒業で信仰が揺らいで、寝れていなかったのだ。*4

信じる者同士の「みんな」に入りきれている自信はない。ファンの中でも気に入られるファンでいたいという欲が強くある。今は他の場でも成功したいし俗世への欲は全く捨てていない。

それでも、信じる者たちと信じない者たちとの壁をずっと感じていたし、仮に他の社会全てが私の愛するアイドルたちを敵に回したらアイドル側に着くと決めている。

安崎の台詞に「こちらだって(自分たちの組織のことを)守らなきゃいけない」というニュアンスのものがあった。広い世界の中で、自分たちの守りたいものが狭くなって、その場合、他の全てを敵に回さなくてはいけなくなるような感覚は事務所が苦境に立たされるこの一年で散々感じてきた。

 

「こころ」の登場人物にはアイドルのファンとして「見たことがある」と嘲るような目線も向けていた。

アイドルを疑って、好きでなくなっていることに気づいているのに気づかないふりをして、騙しきれなくなったら突然アンチになるような客。

みんなに合わせて好きになって、みんなに合わせてアイドルを信じたりアイドルから離れていく客。

そして、その嘲りの目線は自分にも向く。

色んな噂を見ないふりしてとある事務所の構造を好きで居続けることと、
とあるテレビ局の理不尽な理論を見ないふりして番組を見続けることと、
とある社長の人脈を見ないふりしてとあるアイドルを応援し続けること、

中山も私も大して変わらないのだ。

疑いようもなく「こちら」の世界の話だと思った。

私は「幻影的情熱」における指導部側の人間だ。

エンタメの神様に愛されてる人は病気や怪我をして公演を中止にさせることはない、と思っている。今も思っている。

横尾さんや玉森さんや藤ヶ谷さんや北山さんを大好きで崇める気持ちの一欠片として、「公演を中止にさせたことがない」がある。私はなんの不利益も被っていなかったのに、四人と三人に壁を感じる思想が未だにある。キスマイとそれ以外に「長期休養したメンバーがいない」という論点を持ち出し、キスマイを愛している部分がある。ほんの一欠片としても確実に。

精神は肉体を超越する、という考えを捨てきれていない。

 

私はこれからもグロいエンタメの方が好きって言い続けるし、自分の考えを変える気も全く無いけれど、歪んだ考え方の末路を見せ続けられたのがずっとずっとキツくて面白かった。彼らのことを愚かとバカにしきれない、というか自分に似てて愚かだから12人みんな可愛く見えたのかもしれない。

最初から自分の偏った考えは自覚はしていたけど、その現象を感想として残せる経験は本当にありがたかった。

 

そしてその構図の最後に、某コミュニティで発生した現象が組み込まれたな…ということも含めて面白かったなとすら思っている。自分だけの話じゃなくて、ファン全体が簡単に陥る罠なのだな、と実感できたこと。

 

理想郷ってこわいね。でも楽しいんですよ、理想郷を夢見る行為は。その理想郷が一人一人違って、そんなものが実在しないとしても。
「こころ」のメンバーはそのまま突き進むよ。「幻影的情熱」のメンバーも始まりはあんなに楽しそうだったね。

 

アイドルがこの物語を演じていることで、私の中で何個も何個も重ねられる構造が増えていくこの体験をできて本当に良かった。

 

また演劇を、観に行きたいと思います。

*1:この感想も書きたかったんだけど感想ブログ書くぞ〜程度の熱では咀嚼しきれなかった

*2:と言いつつ直近のキスマイのライブ、For dear lifeも初日と楽日で全くの別物になっていて複数回行く意義を感じたものであった

*3:厳密には北山さんとキスマイ

*4:全然盛っていない本当の話です