星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

バンクシーと北山宏光(灰になる前に考察⑥)

また「灰になる前に」の話をします。フルMVが誰でも手に取れるようになったのと、北山さん誕生日おめでとうの気持ちで書き始めました。もう10月だけど

 

バンクシー関連の書籍や記事を漁る度に、「灰になる前に」及び北山宏光は思ったよりバンクシーの影響を受けてるな…受けてないにせよかなり親和性があったり似てたりする部分があるな…と思うようになった。以前散々細かい邪推はしたが、今回はバンクシーに絞って類似点を羅列していこうと思う。ちなみに例によって美術の素養は無く、灰になる前に以降に身に着けた付け焼き刃知識で書いているので相当テキトー言ってます。話半分で読んでください。

 

バンクシーも大した意味のこもってない作品についていろいろ深読みした感想を言う客のこと馬鹿にしつつも楽しんでるとしか思えないし*1……無意識にこそ本人の深層心理は反映されると思うし……

 

 

☆作品を作る意味―弱者の代弁

北山宏光はTV Guide Alpha VOL.43内で、灰になる前にのコンセプトをこう語っている。『やっぱりコロナ禍で疲れている人、何も出来ない日々に飽きている人がたくさんいるわけで。致し方ない部分もあるけど、若い世代が世の中や環境、大人に対して諦めている空気みたいなものを感じることがあるんだよね。その人たちが“いや、そうじゃないな”って思ってくれるようなメッセージを込めたかった。このままだと、みんな生きることに希望を無くしちゃいそうな気がするんだよ。だから、今回は気持ちに寄り添うっていうより、自分が発信してエネルギーになれればいいなという思いがあったな。』

「Fear/SO BLUE」初回Bメイキング内でも、発売して間もないので細かい内容の言及は避けるが、割と近い言葉を発している。

バンクシーは、弱者の代弁を行うアーティストである。動物園に侵入したり、「ヴィレッジ・ペット・ストアー」というイベントを開催したりして、人間に訴えかける手段のない動物の声を代弁するようなアートをディスプレイする。動物園の柵の中に侵入したことについて、彼は『作品を残せたのは最高だったな。なぜって、“声なき者の声”を代弁できたから。それはグラフィティを始めた理由のひとつでもある』と言葉を残している。ヴィレッジ・ペット・ストアーのイベントに関しては、彼は『自分たちのことを表現する手段の無い生き物たちの為にやっている』と言っていた。彼の作品には動物の他にも子供たちも頻繁に登場する。彼の活動は、常に弱者の側に立つ。そして、ネズミやチンパンジーや子供というモチーフを利用し、権力のようなものを皮肉っているのだ。

また、その一方で、バンクシーは『自分にも夢がある。それは社会で負け犬扱いされている者たちが徒党を組んで立ち上げることだ』という言葉も残している。それは恐らく、励ましのメッセージでもある。

バンクシーのネズミについて北山宏光があれほど強調したのは、この弱者の立場からの、弱者の立場にある人に向けたメッセージだということを伝えたかったからなのだろう。

なお既に色々書いてる上こんな文章を読んでいるもの好きの方はとっくに例の美術手帖の記事も読んでいると思うため、とりあえず以前私が書いた文章の訂正のようなものを書くと、バンクシー自体はネズミについて『やつらは許可なく生存する。嫌われ、追い回され、始末される。ごみにまみれて切望しながらも粛々と生きている。そしてなお、全ての文明を屈服させるほどの能力を秘めている。もしきみが自分のことを誰にも愛されない、汚くてとるに足りない人間だと感じているとしたら、ネズミがいいお手本になる』と言っているようなので東洋の善い意味は多分そんなに込められていない。(バンクシーのネズミについては、実際は純粋な嫌われ者というよりは、普通の様々に個性のある人間として描かれているのだが)また、美術手帖内のメリーポピンズのくだりについてだが、初期のバンクシーは「銀行強盗」を意味する「ロビン・バンクス」を名乗っていたことを考えるとより感慨深いものがあるような気がした。

 

☆ストリートアートとYouTube

ストリートアートは、街をキャンバスとして描かれる落書き、あるいはアートのことである。表現に使う画材やパーツは問わない。暗黙のルールとして、個人の住宅ではなく公共の壁が対象になる。そして大きな特徴として、通りがかる全ての人に向けてメッセージを語り掛けるものである。これ自体対抗文化的なところがあるので暴力的な分類にはなるが、恐らくバンクシーや他ストリートアーティストにとってこれの対極に存在するのが、美術館に飾られるアートとなる。『僕らがみるアートは、選ばれた一握りの人が作ったもの。その小さいグループにいる人たちだけが作ったり、プロモートしたり、買ったり、展示したりする。そして、「アート」の成功って何かを決める』とバンクシーは述べていた。

「灰になる前に」を言及する上では、それがYouTubeを中心としたプラットフォームで繰り広げられたことが特筆出来る。

千賀健永がYouTuberとコラボした動画を作っていることからもわかるように、この企画自体はYouTubeで公開することを前提に取り組まれている。普段私たちがキスマイを見るとき、彼らは一種閉鎖的な環境に展示されているともいえる。CDやDVD、FC動画、映画、dTVはお金を払って見るもの。テレビに映し出される彼らは、間違いなく「小さいグループにいる人たちだけが作った」ものである。その一方で、YouTubeは端末さえ持っていれば誰でも観ることが出来る。普段の媒体とYouTubeという媒体での差は、美術館と街と同じくらい全く違うものだ。媒体の特性を考えたときに、バンクシーが利用されたことには何らかの必然性を感じ取ることが出来る。

またバンクシー本人はこのことにかなりの問題意識を持っており、美術館のプロモートといった企画展をしている。彼の企画以降、美術館がストリートに歩み寄る動きが活発になったとのことだが、北山宏光もそういった融合的なことを望んでいそうだなと思ったりする。知らんけど

 

☆渋谷とブリストル

バンクシーが生まれ育った町であるブリストルは10世紀ころから交易都市として栄えていた。経済を兼任する役割を担い続けてきた一方で、奴隷貿易などの負の過去も負う。丘陵地には立派な邸宅が立ち並びリベラル層が住む一方で、治安の悪いダウンタウンエリアも存在する。1970年代の経済危機以降、経済停滞に悩まされたものの近年になってハイテク分野の産業が成長、近日は多くのメディア産業がこの地に拠点を移している。地方都市の顔とインターナショナルの顔を合わせ持つ街だ。

ブリストルの地元住民の多くはミドルクラスで政治的にはリベラルな都市との見方が強い。そしてこの町では中央や権力者に対して抵抗してきた。クイーンスクエア暴動・セントポール暴動・テスコ暴動……。既存の権力に対する住民のパワーを誇りにしている。また、経済停滞時もサブカルチャー分野は活発だった。海を渡ってきた文化はこの土地で醸成し、独自のスタイルを生み出した。ストリートアートやグラフィティも活発だったが、それはこの土地のアンダーグラウンドな部分とリベラルな部分が両立する背景にもよる。その環境によって、バンクシーの初期のスタイルは作られた。

渋谷という町には、かつては田んぼ・侍屋敷・そして宿場町があった。1885年に渋谷駅が誕生し、多くの芸者が働き各地からの人が集う街として本格的に栄え始める。1900年代になるとかつて侍屋敷や畑があったエリアは陸軍基地として土地の買収が行われ、第二次世界大戦後の連合国軍占領下においては米国軍やその家族用の住宅地として整備された。(このワシントンハイツ内で行われていた少年野球チームがジャニーズの発祥でもある。)そしてこの住宅地が東京オリンピック選手村に転じ、それと合わせて現在のNHK放送センターも建設された。また1970年代以降には渋谷の中心地に多くのファッションビルがオープンし、若者の街として現在のスタンスを確立するようになった。また、若者の街になるのと並行して、ストリート文化なども発展した。その一方で(そもそもストリート文化が発展できる地域とホームレスの存在は切っても切れない関係にあるのだが*2)乱暴な言い方をすれば「景観の悪い」エリアも併存した。

渋谷は外国文化・エリア外からの人間・若者と共に発展した街である。全国に先立って同性パートナーシップ条例が可決されたことからも、日本の中では比較的リベラルな街と扱っても差支えはない。コロナ禍以前はスクランブル交差点に人が集まり、権力である警察を馬鹿にしたような若者たちの狂騒が繰り広げられていた。(※暴論だという自覚はあります)

正直なところ現在は行政の活動によりかつてのアングラらしさが伺えるエリアは少なくなっているものの、現在でもライブハウスが多く点在し、NHKホール近くのけやき並木では現在もヒップホップ文化に親しむ若者たちを目にすることが出来る。そしてこの街を北山宏光は原点としている。

渋谷はブリストルと違ってさほど歴史のある町では無いし、「地元住民」の存在は希薄なので並べるのは乱暴かもしれないが、異なる場所から人が集まり・外国文化の影響を受け・独自の若者文化が発展し、資本の集うエリアとそうではないエリアが併設し、反逆者としての精神を育てる土壌となるという点ではやはりどうしても近しいものを感じられる。また、バンクシーは有名になった後にも美術館でのイベントや「ディズマランド」をブリストルで行っているが、今回「灰になる前に」の撮影をデビュー10年経ったタイミングで渋谷で行ったという面でも親和性を感じられる。

 

☆作品全体のプロデュースについて

バンクシーベツレヘム郊外、パレスチナ分離壁のすぐ横にある「The Walled Off Hotel(世界一眺めの悪いホテル)」のコンセプトや内装やアートワークを手掛けている。ホテル支配人が『このホテルにあるものは置物ひとつとっても、すべてはバンクシーのアート作品』と言うように、全ての展示物が彼のメッセージとなっており、パレスチナ人の窮状以外にも様々な社会問題について空間全体を通して訴えかけている。

バンクシーは他にも「ディズマランド」や多くの企画展において、絵だけではなく空間全体のプロデュースをしている。ネズミ200匹を放し飼いにしてたりする。

北山宏光はMVの公開にあたって「全てにストーリーがあります 部屋の中にもヒントがありますぜ」と本人のブログで述べており、私がこんな文章を書きまくってしまう程度には細部に意図が感じられる。彼の目に映るもの全て、更には曲・MVだけでなく考察できる要素を通し作品を届けようとする姿勢は、やはりエンターテイナーとして似たものを感じる。また、表現手段を一つに頼らない部分も近しいものがあると考える。

あとこれはただの感想なんですがバンクシーの主戦場がストリートであるせいか額縁に収まっているバンクシーの絵がそんなには多くないため、このホテル内の額縁とセットになっている多くの絵は画集内では多少新鮮に見える上に、額縁が沢山並んでたり観葉植物が並んでたりする様子はちょっとあの部屋っぽい気もする。あの部屋がアトリエであるという前提があるとして、「普通アトリエには無いのでは?」と思うものはこのホテル内にはありそうなのだ。まあテレビもエレキギターもこのホテルにはないのですが…

 

☆カメラ(監視社会)

MVはYouTube上で公開されている。一方でYouTube editとフルサイズでの情報量の差はメンバーによってまちまちである。FC動画上で本人も言っていたので言っていいと思うが、玉森裕太のソロMVを観たい玉森裕太だけのファンがFear初回Aを買う意味は正直全然無いと思う。しかしフルでしか見れない北山宏光のカメラ目線、これは間違いなく買うに値する。*3この2番頭?のシーン(同じ部屋に北山、カメラ前じりよる/北山首振った後手で顔を覆う/部屋右奥に向かう/カメラをのぞき込むような目線)は当時から個人的に「北山宏光、カメラの向こう側のこちらに対して喧嘩売ってきてるな」という感想を抱いていた。

 

バンクシーの作品で、「What are you looking at?」という文字に向けられる監視カメラの作品がある。これはイギリス国内の過剰な監視カメラの使用に対する批判を込めたと言われる作品である。現在は監視カメラによる国家からの監視だけではなく、自宅など私有地に設置される監視カメラ、あるいはSNSの普及によってだけではなく互いが互いを監視する社会に突入しつつあり、バンクシーはその状況に対してもアートや発言で警鐘を鳴らしている。*4

北山宏光はあのアングルをもって常にカメラを向けられる立場、すぐにSNSで拡散される社会に対しての批判精神も込めていたのではないかと、バンクシーの作品を踏まえると感じられる。

また、比較的初期のバンクシーの一連の活動にはゲリラ的に自分の作品を美術館に展示するというものがある。この様子は監視カメラによって捉えられているのだが、バンクシーはその様子自体を記録し、発表している。監視する様子を監視するという行動は、割とエゴサをしていることを隠さない北山宏光の姿勢に似たものを感じなくも無い。

 

ところで、バンクシーとカメラを語る上で欠かせないパーツとして「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」という映画がある。10年ほど前にアカデミー賞にもノミネートされた映画なので見たことがある人もいるかもしれない。私はバンクシーを調べるまで全然知らなかったのだがこのブログの為にdTVで330円でレンタルして観た。あらすじはググって調べて欲しいし、あらすじ以上にブラックな面白さに溢れていたのでとりあえず見て欲しい。1時間半の映画なので意外とサクッと観れた。

これは、撮る人と撮られる人の逆転と、虚像を描いた映画だった。アーティストを撮っていたティエリーは、その絶望的な映像作家としての能力の低さからバンクシーにアートを作る側に回ることを提案され、バンクシーやその他のアーティストの力によって、Mr.BRAINWASHとして、全く実力が伴わないまま一流のアーティストの仲間入りをする。

この映画が、もしくはブレインウォッシュという人間自体が、社会に疑問を投げかけるバンクシーの作品となっているというのは一種の主流な見方となっている。

アイドルの語源は(色々説はあるが)ラテン語の”idola”やギリシャ語の”idea”である。哲学用語であり自分もさほど詳しいわけではないのだが、idolaは「思い込み」や「偏見」を指す。またイデアは、更に「見る」を意味する言葉に由来するのだが、イデア論の内容は人々が見ているのは実体の「影」に過ぎない、というものである。平たく言えば、「アイドル」という言葉自体が嘘だとか、虚像だとか、そういう意味を内包しているのだと自分は考えている。またアイドルの定義として、「魅力が実力を凌駕するもの」という説があったと記憶している。メディアの力で、本人の力以上に色々な場に引きずりだされ、色々な場を経験する。特にジャニーズ事務所に所属しデビューをしたアイドルは、その歪さを認識せずにはいられないと思う。

ブレインウォッシュ自体は、少なくとも映画を観る限りは、自分の実力の無さに気が付いている描写はない。恐らくバンクシーは彼のその鈍感な部分を含めて映画の主人公として彼を選んでいる。ただ、その自覚の有無を除いては、ある時点でのブレインウォッシュとある時点のジャニーズアイドルは多くの共通点を抱えているのではないかと考える。

玉森裕太は、生活感の無いホテルライクな自室にMR.BRAINWASHのアートを飾っているとvoceの連載内で語っていた。多少悪意のある書き方をすれば、虚像が虚像の描いた(描いたとされる)作品を飾っている。今回は北山宏光バンクシーの親和性について述べることを目的として書いている文章であり、また自分の思考もまとまらないのでこれ以上深堀りすることは避けるが、玉森裕太が何を思ってそのアートを飾っているのか、そして同じグループにある種のバンクシーの作品を愛でる人間がいることと「灰になる前に」MV作製に至る因果関係についてもいつか分かるといいなと思う。

あと撮る側⇔撮られる側の兼任的な部分はこの映画も含めて意識したんじゃないかなと思う。それから、このタイトル自体は「ギフトショップを通過して外に出る」、つまり美術館の展示が終わると強制的にミュージアムショップを通らないと外に出られない美術館の状況(グッズの収益で何とかやってる財政)を指しているのだが、……なんか、ライブみたいだなって個人的な感想は発生しましたね……CDの利益を初期投資としてぶっこみグッズ販売でなんとかトントンにする日本のアーティストたち…

 

☆破壊衝動

バンクシーは、シュレッダー事件についてピカソの言葉を引用して「破壊衝動は創造的な衝動でもある」という言葉を残している。この言葉と、MVの親和性についてはわざわざ言葉を書き連ねるまでも無いと思う。

 

すでにこじつけがひどくなっていることは読んでいる方も感じ取られているかと思いますが、以下更に与太っぽくなっていきます。ただ頑張って書いてはいるのでこのままお付き合いください。

 

☆消費社会との向き合い方

バンクシー本人は商業主義や消費社会に対する批判を込めた作品の製作を行うにも拘わらず、バンクシーの絵は高額で取引され、資本主義に思い切り取り込まれてしまっているという問題がある。彼の活動資金や生活費は基本的に絵を富裕層に売ることによって創出されていると思われる。不正をもって儲けようとする他者に対しては、ペストコントロールと言う認証団体の設立や公式ショップのオープンなどを通じて彼らの懐を温めない努力はしている。ただ、彼が直接的に取っている手段は、マーケットからの距離を保ち、客観性を失わないというものでしかない。

一方でバンクシーは『アートの世界は最大級のジョーク』という言葉や、『商業的な成功はグラフィティアートとしては失敗の印だ』という言葉を残している。アート市場に利用されていることを把握したうえでそのマーケットを利用しているのだ。その最たる例がシュレッダー事件であり、高値で売られていくことを許容すると同時に、その状態を一つのエンターテイメントとして配信した。作品は、オーディションにより商業にのみ込まれたことをもって、自己破壊を試みたのだ。

先日の金スマの放送で、北山宏光はデビュー後の格差売りについて、7人いるメンバーの中で特定の人間の知名度を上げてもらうため、スターを作るためのシステムだったのだと思う旨を、格差売りにおいて贔屓された側の立場ながら答えていた。マーケットに取り込まれつつも、自分の状況を的確に把握し、その枠組みの中で出来ることを模索する姿勢は、それなりに近しいものを感じられる。

 

☆活動時期

バンクシーは1990年後半にアーティストとしての活動を始め、2000年頃には自らの絵を販売し始め、2005年頃には美術館に自分の作品を勝手に展示する活動で話題を呼んだ。その一方で、日本でもその名前が大きく知れ渡ったのは2010年以降(特に日本で映画が公開された2011年以降)とされている。*5

北山宏光の入所年度は2002年。Kis-My-Ft2が結成されたのは2005年。そしてCDデビューが2011年。特にオチは無いが、活動時期はかなり重なるものがある。また、バンクシーは1974年頃に生まれたとされているので、北山宏光の大体10歳上になるが“アーティスト”として活動を始めた年齢がさほど早くは無いという点でも多少の共通項は見られる。

 

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホルは1960年代に活躍したアーティストである。シルクスクリーンと呼ばれる大量印刷の技法により作品を大量生産し、急速に世に広めた。*6ポップアートの巨匠」とも呼ばれるが、その功績は多くの人に身近なものや多くの人に認知されている人物でさえもアートになるということを提唱し、また特権的芸術ではなく、大衆に開かれた芸術を確立させたことと言われる。有名な作品は「マリリンモンロー」そして「Cambell’s Soup Can(キャンベルのスープ缶)」である。また、彼自身で映画を作成していたりもする。

バンクシーのルーツ的なものはどちらかというとヒップホップ文化にあるとは思われるものの、バンクシーはマリリンモンローをオマージュした「Kate Moss(ケイト・モス)」、キャンベルのスープ缶をオマージュした「Soup Can(テスコのスープ缶)」を作品として世に出している。バンクシーはこれらの作品を通して資本主義社会を皮肉っているものと思われるが、作品本体に対しては彼への確かなリスペクトを感じられる。(ウォーホル自体は大量生産されるものに対して批判的だったという記述は確認できない。ただ彼はポップアートの先駆者であったわけで、色々新しいことを考えるバンクシーが彼に対してリスペクトの念を抱いている可能性はそれなりに高いと思う。他の多種多様なオマージュ作品の中でも、割と作品を穏当に使っているというか…)

北山宏光は、「氷菓美美し アンディウォーホルの色彩」という句を詠んでいる。この句自体は予選敗退をしており添削を受けている句ではあるものの、古語と現代美術の取り合わせをする守破離に近い姿勢、そのモチーフとしてウォーホルを利用する感覚は二人の精神性をこじつけるには十分だと思う。

あとバンクシー関連の批評読み漁ってる途中でウォーホルの「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」あるいは「15分で誰でも有名人になれるだろう」というフレーズを複数回目にした気がするのでたぶんバンクシーを語る上ではもう少しちゃんと言及すべき項目なんだと思います…北山宏光の話なのでしないけど…。

 

☆家庭環境

グラフィティやストリートアート自体はメインストリームから外れた層(例えば低所得者層など)を芯として発展したものではあるが、バンクシー本人は地元の有名校に通っていたこともあり、いわゆる中流階級~上流階級の家庭の出と言われる。

北山宏光も、芸能という本来は学歴を必要としない世界にあるものの、両親ともに教師の家庭で生まれ育ち、多くの習い事をしていることから、家庭環境が比較的近いことが想像される。

ポピュリズムの進む現代において、いわゆる労働階級の人間が世界に対する反逆者になりうるか?というとたぶん違うんですが

 

☆愛

バンクシーは別にいつも皮肉や批判を込めたメッセージばっかり書いてるわけでも無くて、ハートマークをペンキで書いているのネズミのアート(「Love Rat」)なども残している。その辺のシンプルに愛を描くこともあるという純粋さは、一応文脈として引き継いでそう。なにせ三日目の文字は「Love」だったのだ。

 

☆その他デティー

・梯子

MV内に登場する梯子についてよくわからないことを以前色々書いたものの、梯子はバンクシーが絵を壁に描く際の必需品に近い道具なので絶対そっちの意味合いだということにようやく気が付いた。ネズミこそ小さいものの、彼の描くストリートアートは道行く人に見せる目的があるだけあって大体デカいし、高いところに書いてあるものも多い。*7あと割と有名な「Brexit」の絵はまんま梯子ごと描かれている。「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」でもバンクシーはティエリーに梯子を持ち歩かさせていた。あと今までで一番梯子がちゃんと使われていたのは、パレスチナ分離壁に描いた風船にぶらさがる少女の絵なのかなと個人的には思っている。バンクシーはこの壁に絵を描くときは銃を向けられてたこともあるようなのだが、梯子を壁を超えるために使うんじゃなくて絵を描くために使っていることの物語性を込めてそうだよなあと…この絵を描いているシーンは映画内でも使われてるあたり、思い入れも感じられるので…。

 

・MITSU

ライブ一日目で出てきた「MITSUBISHI」の「BISHI」を黒に塗りつぶしているテレビは、有名どころではPARKINGの「ING」を消してブランコで遊ぶ少女の絵を描いたそれ、マイナーどころでは自主出版の写真集(zine)で「BANKSIDE」の地名表示のうち「IDE」の文字を消してYに換えた写真を載せているそれ辺りのオマージュなのではないかと思った。

こういう手法自体はそこまでアーティスト固有のものではないとは思う

 

ここまで1万字、お付き合いいただきありがとうございました!以上です!また気が向いたら追記します。あと今回のブログの内容は論評の言い回しをそのまま引用してる箇所が多すぎるのでヤバそうなら教えてください…。

*1:後述する映画内の描写

*2:それこそバンクシーはホームレスに暖かい視線を向けているストリートアートも残しているのだが割愛

*3:個人的にはNemophilaの間奏のダンスが買う理由になった気がしてならないけど蛇足

*4:一方でバンクシーのインスタグラムのフォロワー数は1000万人を超えた

*5:実際、名前を知る人間が爆発的に増えたのはシュレッダー事件(2018)およびその時期にバンクシーの例の傘持った絵が東京で発見されてからだとは思われる

*6:バンクシーの販売用の絵の大体はシルクスクリーン

*7:天王洲アイルでやってる展示行って多くのアートの大きさにびっくりした