星がきらきら

Mais comme elle est loin!/遠き七つの星へ愛を

灰になる前に、二日目の文字を巡って(灰になる前に考察③)

5/26追記:Boutでしたね!!!!あの綴りで分かるか馬鹿!!!!でも書くの楽しかったからオールオッケーです!!!!!以下は当時の文章をそのまま載せています。

 

7月からのドラマの髪型を問われて「坊主」と答えた北山さんが大好きだったんですけど、ありもしない話をまるで本当かのように信じさせるあの一瞬に憧れたので私も出任せを書いていこうと思います。人間、与太話をするのが一番元気出る。

 

HOMEライブ配信での「灰になる前に」のパフォーマンスで、北山さんは最後に何らかの単語をペイントしてパフォーマンスを終了させた。

一日目がFind*1

問題となるのは2日目の単語。Baat、もしくはBuat。一日目の簡単な英単語とは異なり、明らかに英語ではないワード。その日の夜には考察が飛び交っていた。BAATはネズミに含まれる遺伝子名だ、いやBeatのスペルミスだ、などなど。(私は筆記体使うなら三文字目と四文字目を繋げろ、二文字目と三文字目で同じ文字なのか違うのか分からなくなるだろ、最後のあの線なにとちょっとキレつつ、ゲノムの記事読みながら寝落ちしました)

三日目に何らかの答え合わせや訂正が入るのかと思っていたものの、ソロ曲に言及されることはなかった。三日目のワードはLoveだった。二日目の言葉だけ、難解に過ぎる。

考察厨として、部屋の中のMVとの変化そっちのけでずっと考えていた。Buatはインドネシア語のforに当たるが北山さんとインドネシアは結びつかない。Ba atとしてもBaを見つけろの意味が分からない。ベースを見つけてどうする。そもそもあの書き方の場合B aatやBaa tはあり得てもaaを分離することはない。3日間12文字の入れ替えで何かが浮かぶとも思えない。*2FindとLoveは言葉として強すぎて、単体でも何らかの意味を放っているように見える。Findは考察厨への挑戦状としか思えない。Loveも彼の姿勢まんまである。

そんな中、Baatはヒンディー語だというコメントを見つけた。…ヒンディー語、あり得るな???

ヒンディー語の文法は流石に調べきれなかったが、Baatはざっくり「言葉」を意味する単語である。英語のニュアンスで言えばword,object,saying辺りを内包する気配を感じた。「言葉」であれば「見つけて」「愛」に劣らない単体での強さがある。繋げても「愛の言葉を見つけて」として成立する。

そして、ヒンディー語はめちゃめちゃ平たく言えば、インドでよく使われる言語。北山さんでお馴染みインドなのだ。*3

更にこのインドではヒンドゥー教がメジャーな宗教となる。*4そしてヒンドゥー教におけるネズミは、欲望と無智、暗闇の象徴として意味を持っている。

ヒンドゥー教はざっくり言えば多神教であり、日本人のメジャーな宗教感覚とはそれなりにすり合う様々な神様が信じられている。ヒンドゥー教が擁する神様、そのうちの一体がガネーシャだ。ヒンドゥー教におけるネズミは、このガネーシャの乗り物であり、しばしばガネーシャの絵や像の足元に描かれる。

このネズミは「ムシカ」という名で、元々ガンダルヴァと呼ばれる半神半獣の奏楽神団、大勢の神のいる宮殿の中で美しい音楽を奏でる集団の一員であった。彼らの大半は男であり、八角の角を生やした赤く逞しい男性の上半身と、黄金の鳥の翼と下半身を持った姿で表される。女好きであるが、酒や肉を食らわず香りを栄養とする。しかし、聖人の足を踏んでしまったことにより怒りを買い、呪いによりネズミに変えられてしまったのだ。ガネーシャはこのネズミを縄で捕らえ、自分の乗り物とした。このエピソードでは欲望と無智の象徴であるネズミを乗り物として乗りこなすことの出来るガネーシャの聡明さを表現すると同時に、大きな象が小さなネズミに乗るということからガネーシャ神の全能性を表しているとも言われる。

最近北山さんはインドの話をしていた。キスブサでも、キスラジでも。彼の現在のアイデンティティには、インドでの経験が強く刻み込まれている。その旅の道中やその後のインドの文化にアンテナを張れる生活の中で、ネズミが持つ意味を知る機会はあったとしてもおかしくない。

音を届けていたムシカがネズミとして堕とされる。当初鳥の翼を持ち音楽を奏でていた彼は*5エレキギターを捨てるように乱暴に扱っていた。

欲望や暗闇の象徴。ネズミはホテル街を滑走していた。

偉大な存在によって捕らえられ足元に置かれる。MVには網が映り、三日目公演にのみ登場したネズミは、(MVより位置を下にして)足元にいた。

つまり、「灰になる前に」は足元で使役される存在からの脱却を歌った歌なのでは無いだろうか。

ヒンドゥー教カースト制と輪廻概念が特徴とされる宗教でもある。輪廻概念と歌詞のリンクがあるのは言わずもがなではあるのだが、もうひとつ関連性があるといえるものがある。それは、ヒンドゥー教が信仰される地域で行われるホーリー祭の存在である。

ホーリー祭は二日に分けて行われる。一日目は焚火*6、そして二日目に行われるのが、カラフルな粉や色を付けた水を振りまいて、全ての人が思いっきり騒ぐ行事だ。軽快な音楽が鳴り響く中、豊作や幸せを祈って、春を祝って多くの人々がその身をカラフルに染める。元々は神が顔を好きな色の色粉で塗ったことに由来するこの行事は、普段強い身分制に縛られている彼らが階級、性別、年齢、宗教関係なく無礼講が許される解放の時間でもある。

部屋の中にいて抑圧されていたものが、立場の関係を無くす宗教行事の力を借りることによって外に出る。身体を色に染めた彼は、何者にも縛られていないということを意味する。これが二日目のBaatに対する、インドとの連想を含めた私の解釈だ。

 

 

 

色の感じは似ているし意味合いも遠からずなのでホーリー祭からのあのパフォーマンスへの連想はゼロでもないかなと思ったけど文字についてはどちらかと言うとスペルミスだと思う派です…。ただ考察自体は「向こうにミスがある」と仮定して行ってはいけないものという信条はある……(なのでファンがこういう暴走した文を書く前に訂正してほしい)

*1:なお家の回線が北山さんソロの間のみ死んだため私自身はこの単語を見れていない。そんなことある??

*2:このサイトで色々見たりもしたけどやっぱりパッとしたものはなかった。個人的にはbuat,baat,buaty,baatyの四択だと思うのだが文章の単数形とか目的語とかがどうにもならない。辛うじてそれっぽいのはBad Faint Loveくらい。http://wordsmith.org/anagram/

*3:インド横断は観たことがない新規ですが…

*4:ヒンディー語ヒンドゥー教は直接の相関は無さげなのでまあ色々と無理のある連想ゲームです

*5:一個前の『蛹』記事参照

*6:これもいわれがあり灰が登場するのでこじつけようとしたけど疲れそうだったので止めた。あとガネーシャの方も一応(顔が)一回灰になってる解釈があるらしい